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事実と妄想の境界

人は案外、事実を見ていないと思う。

もしかしたら、普段の生活の中で見ているものは、事実よりも想像や妄想のほうが多いのかもしれない。

それは、過去や未来という形で頭の中にやってくる。

例えるなら、道端で転んで膝を擦りむいたとする。

転んだということ。打った膝が痛いということ。血が出ているということ。

これが事実だ。だけど、人はそこに、

傷からばい菌が入って酷いことにならないだろうか。

みたいなことを考えたりする。これは事実ではなく、その人の妄想だ。

こういうことを常日頃から当たり前のように行っているのだ。

あんなミスをしたからきっと失望されたに違いない。
こんなに上手くいったんだから、きっと評価されるはずだ。
この程度の実力で上手くいくわけがない。

人は常に、事実と空想をごっちゃにしてあたふたしたり、変な期待を持ったりする。

しかも、大抵の場合、事実よりも空想妄想の方に重きを置いてしまい。

空想妄想と現実が違った場合にいちいち一喜一憂したりする。

怒りなんかの感情が湧くのは、多くの場合事実よりも、自身の妄想が原因ではないかと思っている。

誰かが酷いことを言った。それが自分に直接言われた場合でも、もしくはテレビやネットの向こう側で誰かが言った場合でも、

その発言によって、自分が「否定されたと感じ」、「反撃しないと自分はひどいことになると感じた」から、怒りとなって表に出てくるのだ。

でも、事実を見れば、

この世界に80億はいるであろう人間の中のたった一人の言葉である。

事実とは案外小さいもの。
妄想とはどこまでも膨らむもの。

自分に起きたこと。自分が抱えているもの。

どこまでが事実で、どこからが妄想か。

その区別をしっかりしないといけない。

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