比べる相手はどこにもいない
日本人は比べることが好きかもしれない。
テレビをつければ、毎日どこかで何かをランキングしている。
比べることは他との違いを知ることができて楽しいかもしれないが、
人は比べることで苦しい思いをしている人も大勢いる。
自分と他人を比べて勝った負けた、優れている劣っていると、
もしかしたら、人の頭の中は常に何かと何かを比較して、どちらが正しいのかを判断する、そんなことばかりしているのかもしれない。
なぜ、人はそんなにも比べたがるのか、
それはたぶん、自分の立っている場所が分からないからだ。
例えば、大阪に住んでいる人は自分が今、大阪にいることが分かっている。
それは、自分が今いる場所をちゃんと分かっているからだ。
でも、自分がいる場所が分からないとどうなるか。
「どうやら、あの人は今東京にいるらしい。で、自分はあの人よりも西にいるらしいから、どうやらここは大阪なのかな?」
他人と比べないと自分が今いる場所が分からなくなる。
しかも、東京にいる人より西にいるからと言って、大阪にいるかどうかは分からない。
もっと正確に自分のいる場所を知りたかったら、もっと大勢の人と比較しなくてはならなくなる。
そんなふうに自分の人生における立ち位置なんて測った日には、疲れるのは当たり前だ。
自分が今いるのが、大阪か名古屋か福岡かなんて現在位置を知るだけなら、まだ自分の場所が分かるだけでいいかもしれないが、
他人と比べて出た立ち位置なんて分かったところで、今度はそれが正しいのかどうかで悩むだけだ。
お金や仕事や家族のことで、ここの場所に立っていれば安心だなんてことはあるのだろうか?
だから、誰かと自分を比較することにあまり意味はない。
冷静に自分の現在位置を把握して、これからの指針にできるのならまだしも、
たぶん多くの人は、迷いや悩みの種が増えるだけだろう。
他人と自分を比べてもあまり意味はない。
でも、そうは言ってもついつい比べてしまうという人も多いだろう。
では、こんな風に考えてみてはどうだろうか?
僕たちは、例えば大谷翔平と自分をお金のことで比べたりするだろうか?
比べることはあるかもしれないが、それで悔しい思いや情けない思いをするだろうか。
たぶんあまりしないだろう。なぜならあまりにも稼ぐ額が違い過ぎてピンと来ないからだ。
だから、他人と自分を比べない考え方その1
全ての人は自分とは別世界の人と考える。
大谷翔平のような超人だけでなく、ごく身近な人も、自分とは全く違う世界で生きている人だと思うことだ。
実際、人それぞれの人生はまったく違うのだから、同じ世界にいると考えるほうが変とも言える。
身近にいても、世界が違うなんて当たり前なのだ。
他人と自分を比べない考え方その2
さっきは他人は別世界の人と言ったが、今度は逆。
あまりにも別世界の人だと、比べてもピンとこないということは、
逆に言えば、比べることで気持ちがモヤモヤしたり、グラグラするような人というのは、自分と状況が近しい人とも言える。
そういう人は、自分と同じような悩みや苦しみを持っている仲間と考えてしまうという方法だ。
比べることでつい嫉妬してしまったりする他人でも、実は自分と同じような悩みも持っていると思えば、少しは気持ちも和らぐかもしれない。
まあ、とにかく一番は自分と他人を比べないことだ。
自分が立っている場所は、ただ自分が立っている場所であって、そこに善悪も無ければ、正しい間違っているもないということを自覚して、気楽に歩いて行けばいいのだ。
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