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悩みは解決する必要はない

悩みや不安、心配事。
これさえなければ、もっと人生楽に生きられるのに。

と、何かしらを抱えている人は多いだろう。
そしてその人たちが望んでいるのが、
悩みの解決だ。

お金が無いという悩みだったら、お金が手に入ること。
体に問題を抱えている人だったら、健康になること。

だけど、なかなかすぐに大金が舞い込んでくることも無ければ、朝起きたら体が治っていた、なんてことも無い。

しかも悩みが自分だけの話だったらまだマシだ。
それは自分一人の力で何とかできる可能性があるからだ。

だがこれが、人間関係の悩みとかだったら・・・

相手に変わってもらうか、いなくなってもらうかしか解決法が無いとしたら、それはもう自分の力だけではどうしようもない。

だからこそ、悩みとは「解決」しようとはしないことが大切だ。

もちろん、解決することに越したことはない。

それよりもまず考えるべきは、その悩みにいかに「決着(ケリ)」をつけるかどうかだ。

この中の美輪明宏さんの浮気の悩み相談にたいする回答で、

「欲求が処理できないというのは、トイレのない家に住んでいるようなもの。だからご主人の浮気は、よその家のトイレを借りに行っていることと同じ。排せつ物がたまっているのに、家でできなければ、我慢できなくなるのは当然。したがって、相手の女性はライバルでもなければ、人間でもない。ご主人が排泄するための便所と思えばいい」

痛快な答えだが、
この回答、「浮気」という問題はまったく解決していない。

妻が相手の女を便所と思ったところで、旦那が浮気を止めるかどうかは分からない。

だが、これによって妻側の気持ちが楽になる可能性は高い。

要は、悩みとは、その問題を消し去るという「解決」も大事だが、
それ以上に、その悩みをどう捉えるかという「決着(ケリ)」をつけるほうが大事なのだ。

見方を変えれば、世界が変わる。

生ごみや排泄物も、作物を育てる肥料にできる。

お金が無い、健康が良くないのだとしたら、
それをどう捉えるか。

お金が無くても楽しく過ごせる方法を編み出せば、それを知りたがっている人は山ほどいるだろう。
健康が良くないからこそ、健康の大切さが分かるというものだ。

哲人と言われた中村天風も、大病を患ったからこそ真理への道を求め、そして運命を切り拓いた。

これは僕が勝手に思ったことだが、
みんな、悩みというものを「問題」として捉えているから深刻になってしまうのではないだろうか。

「問題」と考えると、いかにも重いもののように自分の中で格付けしてしまう。

そうではなく、悩みというのは、今の自分に起きている「現象」でしかないのではないのだろうか。

現象なら、いい意味で諦められる。
暑い日が続くことに悩む人はいるだろうが、だからと言って夏という季節をどうにかしようとする人はいない。

だから、日傘を使う、日焼け止めを塗る、常に水分を携帯する、冷房は常に付けておく。
逆に、この暑さを楽しむ人もいるだろう。

などなど、夏の暑さそのもの(問題)を消すようなこと(解決)はせずに、対処(ケリをつけて)している。

「人生が投げかけてくる問題」ではなく、「ただ自分に起きている現象」として見る。

それを「どう消すか」ではなく、「どう解釈するか」ということを考える。

問題は消えないが、心は軽くなる。
重大なものだと思っていたものが、深刻に相手をするものではないと気付く。

では、それぞれの問題をどう解釈するか。

共通していることが一つある。

「なんとかなる」

まずはここから出発することだ。
大丈夫、なんとかなるから。

全ては心一つの置き所だ。

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