見出し画像

かる読み『源氏物語』 【若菜下】 紫の上はなぜ出家を望んだのだろうか

どうも、流-ながる-です。『源氏物語』をもう一度しっかり読んでみようとチャレンジしています。今回は【若菜下】を読み、紫の上の出家について考えてみたいと思います。

読んだのは、岩波文庫 黄15-14『源氏物語』五 若菜下わかなになります。【若菜下】だけ読んだ感想と思って頂ければと思います。専門家でもなく古文を読む力もないので、雰囲気読みですね。


物語の人物、出家しすぎ問題について

あなたも出家、こなたも出家

大河ドラマ『光る君へ』が放送されたことをきっかけに、自分はかつて一部録画していた大河ドラマ『平清盛』を観るのにハマっておりました。そして、永井路子さんが書かれた『平家物語の女性たち』という本も読み返していたのです。そこで思ったのが、「みんな出家しすぎじゃない?」ということです。あなたも出家、こなたも出家状態です。思えば大河ドラマ『平清盛』では後半になるにつれてどんどん出家姿の坊主が増殖していく現象が発生していました。

「平家物語」はあくまでフィクションも含んだ軍記物と教わりましたので、脚色がそれなりにあります。美しい幕引きのひとつに悲劇的な人物の出家がありました。自分は「平家物語」についてはかなり無知で、一度、宮尾登美子さんが書かれた「平家物語」を読んだだけで、近頃は「平家物語も読みたいな」と思いつつあります。

まあ、当然ながら「源氏物語」は「平家物語」より先に書かれたものであるから「源氏物語」が「平家物語」に影響を受けることはありません。でも共通の疑問はあります、それは”なぜ登場人物は出家を望み、出家をするのか”です。

よくある言い回し「世をはかなんで」

出家というのはどうにもマイナスイメージが多いと思います。そうして今回のテーマである紫の上の出家の望みについても、自分はマイナスに見えてしまいます。出家そのものはマイナスではないです。ただ、出家に至るまでが重すぎるそう思いました。

出家については現代人である自分にはなかなか理解しにくい概念ですね。世の中との交わりを絶ち、社会的な活動を停止する、そんなイメージがあります。世の中の難しいことや悲しいこと、あるいは喜びや楽しいことから自分を切り離し、ひたすら仏道に身を置くといったところです。わずらわしいことから自分を切り離すことは良いことである。つまり、世の中に身を置いている今は、わずらわしさと延々と付き合っていかなければならないということなのでしょう。

紫の上は何がわずらわしかったのでしょうか、それを考えることにしました。源氏から離れたかったのでしょうか、源氏が女三の宮と結婚したことで人生を悲観したのでしょうか、いろいろと考えることは多かったです。自分の頭の中でこうではないか、とひとつなんとか捻りだしたことをまとめてみます。

紫の上の地位は陥落しなかった

女三の宮サイドの被害妄想か否か

源氏と女三の宮の結婚は大きなターニングポイントのひとつでした。源氏の妻として絶対的な地位を築いていた紫の上にとっても、そのほかの源氏の女性にとっても、源氏の正式な妻として六条院に女三の宮が入ったことは、衝撃だったと思われます。

そうして今や六条院は貴族たちの注目を集めるスポットで、そこでの出来事は関心を集めます。ビックニュースが起きれば良いことも悪いことも噂として流れ、あれこれと語られることも多い。
この世のものとも思えないような華やかなイベントが催されれば、語り草にもなりますし、女三の宮との結婚もまた人々の話の種にもなったということです。良い出来事ならばいざ知らず、女三の宮が六条院へ入ったことは、紫の上の心情やこれからについて人々に語られることにつながり、紫の上にとっては苦痛になりかねないことでした。

女三の宮が正妻となったことで紫の上の立場はどうなるのか、人々の関心はそこに集まりますし、また「源氏物語」の読者もそれを思ってしまうのです。しかし紫の上の威勢というものはまるで変わらなかったと思われます。まず、源氏の心情を知っている読者視点では女三の宮を大切にするのは、あくまで女三の宮の兄である帝や父の朱雀院からの圧があるからと認識づけられていました。

物語の中ではどうか、これもまた紫の上の威勢は衰えることなく人々に重んじられていたとされています。紫の上が病で六条院から二条院に移った後に、六条院はひどく寂しい場所になり、人々は六条院の輝きは紫の上がいてこそのものだったと感じているのです。

そんな中、不満を持つのは女三の宮サイドの人々です。その不満は”源氏は女三の宮を大事にしていない”といった感じ。帝や朱雀院からの「くれぐれも女三の宮を軽んじてくれるな」というような圧は、女三の宮の側で仕えている女房たちにも伝播しているようにも思えてきます。源氏が女三の宮のところから紫の上のところへ移る時、女三の宮の女房たちが不快感を抱く様子が何度か見受けられました。源氏としては大切にしているとしても、「足りない」と女三の宮サイドは思っているということでしょう。

それは女三の宮サイドの被害妄想なのでしょうか。実際に源氏が女三の宮のきんの稽古をみっちりとつけるという場面があります。これは源氏の娘の明石の女御が”自分もお母さま(紫の上)も教わらなかったのに”と恨めしげで、紫の上がまだ若い頃は源氏自身も若く忙しかったので、丁寧にみっちりと教わることもなかったとのことです。確かに紫の上がまだ少女であった頃、源氏には他にも女性たちがいて、朝廷での職務もあり、女三の宮との稽古のようにたっぷりと時間をとるということをしていなかったと思われます。源氏から見てもそうであり、女三の宮は源氏サイドからすればとても大切にされているとも判断できるのです。

女三の宮サイドは不満、源氏サイドは十分だろうという判断ということになるでしょう。

思い返すのは源氏の母・桐壺の更衣

世間ではどうか、というと読む限りでは、紫の上が重んじられているということになります。これは紫の上がこれまで築き上げてきたものが大きいでしょう。源氏は女三の宮の物足りない部分を冷静に評価して、紫の上の魅力を再認識し、紫の上を大切にしています。

かといって女三の宮は朱雀院や帝の強力なバックアップがあり、世間でももちろん重んじられる存在です。六条院という場所では紫の上が絶対的であったとしても、女三の宮にも絶対的な後見があります。

この図を考えた時、物語冒頭の桐壺きりつぼの更衣を思い出しました。桐壺の更衣自身は後から桐壺帝の後宮に入りましたが、世間で重んじられる弘徽殿こきでん女御にょうごを凌ぐ寵愛を得ました。このことについては、帝のいきすぎた寵愛について非難があったこともありました。

つまりこの時と同じく、源氏の女三の宮への扱いについて不満に思う者がいるということですね。桐壺帝の場合は政治が関わり影響が違いますので、桐壺の更衣ほどの非難がなかったでしょうし、紫の上を慕う人々は圧倒的に多いです。しかし女三の宮を尊重する人々からは、疎んじられていたとも考えられなくはないかなと。どれだけ紫の上が女三の宮を気遣っていたとしてもです。

出家が最適解であった

紫の上の死の誤報が広まった時、優れた人が長くいては他の人(女三の宮と思われる)が苦しむだろう、といったことを口にした上達部がいたというなかなかにキツイ描写がありました。これは核心をついているといいますか、紫の上があまりに優れた女性であるから源氏の愛情を独占し、信頼されて重んじられ、周囲の人々も紫の上を絶対だと思うという現実があります。

優れているからこそ、疎んじられる、もっと言うと邪魔だと思われる。女三の宮サイドからの視線はまさにそうであったのでは、ということです。女三の宮が正妻として六条院に入ってきた当初はそれまでに築き上げてきた尊厳を傷つけられたというインパクトがあるのですが、紫の上が出家をと願ったのはそれから何年も経った後のことです。
女三の宮サイドは何年も経った今も、ずっと源氏にとって最も大事なのは紫の上ということを突きつけられ、紫の上の存在を疎ましいという空気を作っていったのではと想像しました。あるいはそんな空気を紫の上自身も敏感に感じ取ったのではないのかと。

【若菜上】では源氏と女三の宮の結婚にショックを受けた紫の上のあまりに健気な様子が描かれます。こんな様子を見てしまっては、当然源氏が女三の宮ではなく、紫の上を今後も大切に想うだろうとそれはもう思います。しかし源氏が紫の上を重んじるほどに、女三の宮サイドの紫の上への嫌悪は強まり、それが紫の上の苦しみを招いたと思われます。自身の存在がこうした”恨み”や”嫌悪”というものを生み出し、それから自分も逃れられない現実を紫の上はここにきて感じてしまったのではないのかと思いました。逃れようとしても巻き付いてくる糸のようなそれを断ち切ってしまうには出家が最適解だったのでは、あるいは発心のきっかけになったのではと考えました。

出家を望んだひとつの理由として考えてみました。

紫の上は完全な出家は出来ませんでした。紫の上は出家できないまま、また生き続けるのです。これからも読者として彼女を見ていかねばならない、本当ならば願いを叶えてあげて欲しかったと思ったところで【若菜下】は終わってしまいます。まだこれからです。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

参考文献
岩波文庫 黄15-14『源氏物語』(五)梅枝ー若菜下 

続き。紫の上に取り憑いてしまった方について考えてみました。


この記事が参加している募集

読書感想文

古典がすき

いただきましたサポートは、大切に資料費などに使わせていただきます。