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かる読み『源氏物語』 【葵】 行き場のない憎しみはどこへ向かうのか

どうも、流-ながる-です。
『源氏物語』をもう一度しっかり読んでみようとチャレンジしています。今回は【あおい】を読み、前半の中心人物の六条御息所ろくじょうのみやすどころについて考えてみました。

読んだのは、岩波文庫 黄15-11『源氏物語』(二) あおいになります。【葵】まで読んだ感想と思って頂ければと思います。専門家でもなく古文を読む力もないので、雰囲気読みですね。

どうしたってあおいの上が憎い六条御息所ろくじょうのみやすどころ

今回考えたいことは、《なぜ憎悪の対象が葵の上なのか》ということです。読者視点では源氏と葵の上は夫婦円満というわけではなく、結婚から何年と経っても打ち解けて話すしたりするシーンがありません。源氏が葵の上のいる邸へ行っても、中々会えないで待たされるということもありました。会話があったとしても何やら寒々しいものが2人の間には通り抜けていくといった印象です。

源氏が恋焦がれてまだまだ気持ちの抑制がきかない藤壺ふじつぼの宮や、源氏の自邸である二条院にいる人として噂になっている紫の上など、こちら(読者)から見ると葵の上よりもよっぽど愛されている女性というものは多く存在します。まあ、当然ながら秘匿された恋人もいるので、六条御息所が知ることが出来ない相手であるから、とはなりますが、それにしても葵の上のどこに彼女は生き霊になるほどに嫉妬してしまったのかという点を考えてみたいと思います。

それぞれの経歴と【葵】の背景から見てみると

六条御息所はここまでちらほらと気配はありましたが、登場はほとんどこの【葵】からということになりますね。【葵】のメインキャラクターと言いますか前半の主役というぐらいに出てきます。それは本人であったり、生き霊であったり。
高貴な秘密の恋人であった彼女のプロフィールもまたここで鮮明になってきました。

  • 前坊(前東宮)の妃、今は死別

  • 父は大臣、今は死別

  • 前坊(前東宮)とのあいだに姫(斎宮)がいる

  • 前坊(前東宮)は桐壺院きりつぼいんの同母兄弟

これが六条御息所の情報になるのですが、【葵】についてもう一つ重要な情報がありまして、それは源氏の父である桐壺帝が譲位をして、源氏の兄である朱雀帝の御代になっているという点です。なのでここからは桐壺院となります。
帝が変わるということは世の中が変わる、政情も変わる、源氏は父の桐壺院に特に愛されたものですから、時代が変わってやや逆風といったところですね。
さらにこれについて、六条御息所や葵の上についても同じことが言えるかもと思いました。

六条御息所は桐壺院に気にかけられているようです。兄弟のお妃でその忘れ形見の姫もいるので、特別に扱われていたということが度々強調されます。ちょっと「え? そうなのか?」となる過去も匂わせるといいますか、これの解釈はどう受け取ればいいんだとなりましたが、今は考えないようにします。

そして、葵の上、彼女は現役の左大臣の姫なので逆風もないと思いがちですが、右大臣の時代になっています。右大臣は新しい帝の外戚で具体的には祖父なので、イケイケ状態に入ろうかというところなのですね。さらに自分の娘を新しい帝のお妃に、なんて考えているぐらいですからガチでイケイケです。
左大臣は妻が桐壺院の姉妹であることから強固なつながりがあるという立場でもありました。こうなると新しい御代になったことで、やや源氏の周辺がとてつもなくイケイケだった頃から翳りを見せているとも考えられるのかなと。

権力を持つ人についてのあまり良くない噂というものはしないですね、怖いですから。しかしややちょっと時代が終わりそうな気配のある権力者の周辺ともなると、何やらこう増えるんですよね、あれこれあることないこと噂話をするというのが。
「もうアイツの時代は終わりだ」となると今までは言わなかったことをつい口にしてしまう。

源氏を巡る女性たち、高貴な身分の六条御息所と葵の上について、これまではさほど発展しなかった噂話が、時代が変わることで噂を語られることが増えたのではないかと想像すると、どちらの女性もなかなかにつらい立場だと思いました。

六条御息所は絶望する

そもそも六条御息所は葵の上から源氏を奪っちゃった立場の方です。ざっくりした表現でいくと葵の上は源氏の正式な奥様で、六条御息所は愛人ということになります。結婚となるときちんと儀式をするものですから、源氏の場合は一夫多妻かというと微妙なところで、現状は葵の上しか妻であるとはっきり語られている人はいないということに。

六条御息所は妻として扱われていません。源氏がそうしようと思えば出来なくはないけどしない。その時点で葵の上を優先しているとも考えられなくはなく、どんどんと源氏が離れていくかもしれない、どう思っているのかわからないと思ったのか、六条御息所は賭けに出たと思われます。

都から離れて伊勢に行くと宣言する。その理由は別にあって説明されますが、本音としては源氏がどう行動に出るかを知りたかったということになりますね。ここで「行かないでくれ結婚しよう」となれば歓喜したでしょうけど、源氏は伊勢に行く決断を止めませんでした。もうこの時点で絶望的なのに、この後の展開はそこまでするかというぐらいに六条御息所にとってつらいものばかりです。
『源氏物語』を読むと度々作者・紫式部の冷徹な視点が見え隠れするなと思います。

憎しみを持っていく場所がなくなる孤独

源氏が伊勢行きを止めてくれなかったからとて、それは源氏を恨めばいい話ですが、標的が葵の上になったきっかけがあります。有名な場面のひとつ、葵祭の車争いです。余談ですが、この場面の文章、躍動感に溢れていて漫画のアクションシーンを見ているかのような心地にさせられますね。

その一件で葵の上は周囲の人々にも大事にされている源氏の妻で、自分はそうじゃないということが彼女の中ではっきりしてしまった、だからそれまで潜在意識としてあった恨み憎しみが暴発したと見えました。

思えば彼女の味方って少ないなと。葵の上は父母が地位も名誉もある人で、大事に大事にされ、桐壺院にも病となれば心配される。
彼女が物思いによって病になっても葵の上のように心配する人はあまりいません。葵の上と比べればという話になりますが、一度意識してしまうとついつい比較してしまう。もちろん娘の斎宮の姫は心配するでしょうし、周囲にお仕えしている女房もいます。しかしながら、苦しい胸の内を吐露する相手にはならないことでしょう。

年齢を考えればかなり年上の大人なのだから、葵の上を羨ましく思うのはどうなのか、ともなりますが、これって年齢や立場とかまるで関係ない感情だと思います。誰にも苦しい胸の内を明かすことが出来ない心の孤独は、どんな人であっても苦しくて堪らないものであると思わせられました。

六条御息所本人は素晴らしい貴婦人で、教養も気品も備えた人であることは揺るぎようがないけれども、葵の上が憎らしいのは、《多くの人に愛されている、認められている》ということがはっきりしたということでしょうか。
きっとかつては彼女自身も父の大臣に愛されて育ち、亡き前東宮とも仲睦まじく過ごした日々があったはずです。もうそれは取り戻すことが出来ないものなんですね。

憎い気持ちをどこに持っていくこともできずに生き霊となって葵の上を苦しめてしまう、そうならずにすむ方法を考えることは、今の時代にも通じる課題な気がしました。

心の内にある感情をそのまま留めておくには、あまりにもつらい時もあるかと思います。生き霊になることはフィクションの色が強いですが、暴発してどうしようもなくなる可能性は誰しも持っているものと思います。それが悪いことか、というと自分はそれも人間の持つ要素だとは思っていますが、そうしたくないと思えば思うほどに余計に溜め込んでしまうような気がしました。

六条御息所というと『源氏物語』のホラー要素として語られがちですが、ひとりの人としての姿が【葵】で見えてくるようでした。

ここまで読んで下さりありがとうございました。

参考文献
岩波文庫 黄15-11『源氏物語』(二)紅葉賀ー明石 あおい

続き。主人公・源氏の苦について考えました。

六条御息所が憎んだ葵の上について語りました。

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