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紫本09 想像と創造

「前頭前野での運動イメージの想起をスタートとして、意図的な運動が具現化する」という一連の流れ。これはある意味、人間の脳と身体における「基本公式」あるいは「基本型」のようなものでもあります。

何もない空き地にビルが建つ。それまで船でしか渡れなかった河に橋が架かる。津波による被害を最小限にする堤防が築かれる。新しいウイルスに対してワクチンや治療薬が開発される。地球環境に十分配慮した電気自動車が製造される。

ある日突然、何もないところからそれらが出現したように見えたとしても、起点は必ず「どこか」にあるはずです。

「どこか」とは、「それを想像した人の脳」であり、「あったらいいなー」「そうなると便利だな」「みんな助かるかもしれないな」といった心象と共に誰かが想像しなければ、そしてその想像を誰かが具現化することがなければ、それらはそこに存在していません(最初の想像とは違ったものになったとか、ひとりの想像が共有されて多くの人の想像になった、いうようなことはもちろんあります)。

そして、想像の産物は目に見える物質的な人工物だけではありません。

「憧れのあの人と話してみたい」「人前に立って歌えるようになりたい」「海外で活躍したい」「オリンピックに出場して金メダルを取りたい」などのスタートも、やはり脳内で生まれる「想像」です。


脳に対する想像の効果は想像以上に絶大です。自然科学研究機構生理学研究所の定藤規弘教授、愛知医科大学の松永昌宏講師らの共同研究グループは、幸せと脳の関係についての研究を行いました。

 その結果、幸福度が高い人(自分は幸せであると強く感じている人)は、内側前頭前野の一領域である 吻側前部帯状回(ふんそくぜんぶたいじょうかい)と呼ばれる脳領域の体積が大きいこと。ポジティヴな出来事を想像している時、幸せの感情の程度が高い人ほど、吻側前部帯状回の活動が大きいこと。さらにポジティヴな出来事を想像している時の吻側前部帯状回の活動は、その場所の体積と相関していることなどを明らかにしました。


 長期的に「私は幸せだ」と感じながら、ポジティヴな想像を積み重ねることで、幸せな方向に脳の物理的な変化を起こせる可能性がある、というわけです。そう考えると、有り難い(めったにない)から生まれた感謝の言葉「ありがとう」は、幸せに生きる知恵だったのかもしれません。

 「素手でライオンやゾウに勝てると考えている人たちが少なからずいる」という統計 の結果を記しましたが、その人たちも「ポジティヴな想像をした」といえるわけです。さすがに「全裸に素手」では無理でしょうし(能天気な人たちは脳天気でもある)、本当にライオンやゾウに向かって行ってしまっては危険どころか、あっけなく即死です。

 しかしながら長年つくり上げてきた強靭な拳でもってライオンやゾウを一撃KO。両腕を高々と天に突き上げた勝利のシーンを同行した仲間に写真に収めてもらい、野生動物を素手で倒して人類の勇者として世界中に報道され賞賛される……。そんな想像をするのは、非現実的だというだけで「その人の脳にとってはプラスの影響がありうる」というわけです(私たちの脳には想像という名のファンタジーが必要なのでしょう)。


  実際、ライオンやゾウの習性を観察し、私たちの素手の延長である「麻酔銃」を開 発し、檻、自然公園や動物園といったシステムを形づくってきたのも、我々人間です。「誰かがどこかの時点でそれを想像した」わけで、私たちは少なからず、誰かの想像の影響下にあるわけです。


 そして、前述の想像を具現化・実体化するキーとなるのが運動です。想像を計画化して実現するには、身体を動かして行動する、身体の延長としての道具や機械を動かす、ツールを開発する、得意な人に声をかける、ビジョンを共有してチームに動いてもらう、実現に向けたシステムを構築して機能させるなど、何らかの「運動」が必要不可欠です。

 
 ちなみに英語で運動のことをmovementと言いますが、movementには社会的活動という意味もあります。1960年代アメリカで起きた公民権運動はThe Civil Rights Movementと言いますし、幕末の尊王攘夷運動はSonnojoi Movementです。個人の運動、社会としての運動が言語の中でもリンクしているのが面白いところです。

 クリエイティヴな活動を含めた創造はどうでしょうか? メロディーを口ずさむ、イラストを描く、ストーリーを考える、ピアノを使って作曲する、映像を撮影する。ど の作業を見渡しても、そこには必ず「運動」あるいは「運動の延長」が介在しています。

 日本語をつくってきた先人たちは、同じ音で「静かなつながり」を暗に示してくれていることがあります。シン(心、神、真、信)、エン(円、縁、園、宴)、セイ(生、聖、精、清、整)、カクシン(核心、確信、革新)など、同じ音で「近くにあるよ」を教えてくれています。

「想像」と「創造」。

どちらも「ソウゾウ」と読みます。脳機能と運動の観点からみた場合、頭の中にあるものが「想像」、それを具現化して外に取り出したものが「創造」と捉えることができます。想像と創造はそんなに遠いものではないのです。

このように、ちょっと見方を変えると私たちは普段から「運動イメージの運動への変換」を通じて、想像を形にする練習を絶えず繰り返している、というわけです。

  私たちはつい表面的な形で分類しがちです。たとえば、音楽、文章、絵画。見える形、聞こえる形では、これらは全く違った結果として表れるわけですが、音楽は音と音の連なりを時系列にした表現、文章は文字と文字を組み合わせ、意味をもたせた表現、絵画は次元の平面に光の反射を利用した表現、と言えるわけで、どの表現にも必ず「運動」が深く関わっています。

 表現形が違うだけで、使用しているのは脳と身体であり、想像が運動を介して具現化される。ジャンルごと、スタイルごとに細分化して捉えることももちろん大切ですが、大きく俯瞰的に捉えることで、私たちのあらゆる表現は、「想像による創造」と考えることができます。

脳はまさにハイスペックな「変換器」であり、誰もが「想像を運動に変えて具現化できる」という素晴らしい能力を標準装備しているというわけです。(強さの磨き方 強さと人間理解より)

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