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少なくとも私はここに存在した。

権力者も隷属者も、GIVERもTAKERも、敵も味方も、みんな人だ。そして人である以上、どうしても逃れられないことがある。

それは「生まれて死ぬ」という原理原則。

こればっかりはもうどうしようもなくて。サバイヴするために発達してきた人間の脳は「終焉もある」ことも理解することになってしまった。こればっかりは「僕だけ例外」というわけにはいかないらしい。

だからこそ、かはわからないけれど、人は「生きた証」を望むのかも知れない。

何もかもが消え去ってしまうのが怖すぎるから。
生きてきたことに意味が無かったら空しすぎるから。

「少なくとも私はここに存在した」

と本人の代わりに、証明してくれる何かを創ろうとするのではないか。
そう考えると、あらゆる創造は未来にその人を物語ることになるのだろう。

僕が『強さの磨き方』を書いたのも、そのためだ。愛する子供たちが迷った時、自分自身と対話できるように。自分らしく生きられるように。僕の失敗から学べるように。僕の40代最後の記録として家に置いておきたい書として上梓した。

書には僕のヒーローたちもたくさん出てくる。子供たちには、僕を含む身近な人たちからだけでなく、遠く輝く偉大な人物たちからも、どんどん学んでほしい。なぜなら、そこには不変と普遍があるから。ここで、その一部を紹介させてほしい。

・第4章【革新し続ける天才 ~デヴィッド・ボウイ~】より
映画『戦場のメリークリスマス」をご存知でしょうか?1983年に世界中で公開され、高評価を得た大島渚監督の日英合作映画です。日本人が描いた戦争映画として、武士道、神道・仏教観、死生観、信仰心など、深淵なテーマが全編に流れている衝撃的名作で、高い評価を得た作品です。この映画は、「世界の」が冠につく3人、Mr.ボウイ、北野武氏、坂本龍一氏が奇跡的共演を果たした映画としても有名です。坂本龍一氏初の映画音楽として200時間以上スタジオにこもって完成させたテーマ曲、「Merry Christmas Mr.Lawrence」、その儚くも美しい旋律を耳にされた方も多いと思います。同映画で共演した北野武氏は、デヴィッド・ボウイについて、このように語っています。

「あの人の音楽もそうだけど、現場で新しいものとか、未知のものを取り入れようとしてたんじゃないかって気がするよ。誰に対しても壁を作らない人だったね。印象的だったのは、傷痍軍人役のエキストラで島に来ていた外国人の身体障害者たちと、昔からの仲間のように酒盛りをやっていたときの笑顔だよ。もう、偉ぶるところはまったくない。だからこそ時代に左右されないスーパースターだったと思うんだ」
生涯に渡って人間を愛し、人格を磨いたデヴィッド・ボウイ。
「人間は誰でもネガティヴな態度とポジティヴな姿勢を持つことができるけど、僕はポジティヴな姿勢を常に選択している」
変革し続ける天才は、自身の流儀をこのように語っています。

『強さの磨き方』より

そして、もうひとつ。

第3章 【命と集合知】より

 世界的音楽家として影響を与えてきた坂本龍一氏は「作曲の95%は、過去の遺産を糧にしています。作曲家自身の“発明”は、せいぜい1、2%程度で、最大でも5%といったところ。作曲の大部分は過去の作品の引用です」と語っています。新しい創造を長期間に渡り継続されている坂本氏の言葉には、過去の膨大なる蓄積への敬意と、創造の本質的メカニズムが集約されているように感じます。集合知に触れることで自身をアップグレードできる。新しい知見をもって集合知自体のアップグレードに寄与できる。集合知とは強さを磨くシステムでもありましょう。

『強さの磨き方』より

 坂本龍一氏も、デヴィッド・ボウイも、もうリアルタイムで話すことは無い。でも、作品の中で、作品への態度で、そして彼らの活動の歴史で、雄弁に語っている。その時々で感じたこと、伝えたかたこと、そして僕はこうやってきたんだよ、を開かれた形で残してくれている。私たちはいつでも彼らの叡智にアクセスすることができるのだ。

 そして僕は僕なりに、作品や発信の中に記録したかった。彼らの芸術が僕自身にどれほどの影響を与えてきたかを。どれだけ空白を満たしてくれたかを。何度も立ち上がる希望をもらってきたかを。

いつか僕もリアルタイムで話せなくなるだろう。でも大丈夫。私たちはレコード(記録)に「LIVE(生)」を刻むことができるから。
















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