見出し画像

SNSと無自覚

SNSに投下すると、不特定多数の目に触れる。それは約イコール、境界が無いことを意味する。

これって当たり前のことに思えるけど、SNSを見ていて、「これって意識できてる人は案外、少数派なんじゃないか?」と思うことがある。

たとえば、

「これが今日の昼ごはんです」と写真と共に掲載されたツイート。

これって「投稿者に興味がある人」の中で、「投稿者が何を食べているか」に興味のある人にしか届かない。

アイドルとか、俳優とか、トップアスリートとか、料理研究家とか、著名な政治家、企業家や要人とか、そういう人たちなら、興味をもつ人たちもたくさんいるだろう。

まだずっと病気でご飯が食べれなかった人が、日々投稿をしていて、遂に食べれるようになりました、というストーリーが共有されていれば、その投稿にも意味が生じるだろう。

でも、「誰かよくわからない人が食べている何か」に興味をもて、といわれても、それはかなり難しい。

なぜなら人は自分が知っていることの周辺を知りたがるからだ。自分に全く関係なさそうなことを知ろうとはしないからだ。

同じ写真を投稿するなら、

「このメニューは地元でも大人気で、噂通り、最高でした。11時に来たらほとんど待たずに座れました」

「2カ月で5キロ落とすプロジェクト、減量中でもOKの外食はこのメニューです」

「罰ゲームかと思うほど不味かった、でももう1回来たくなるので不思議です」

ぐらいの多少の有意義をGIVEするほうがいい、と僕は思うのだ。

それは

「そういう投稿のほうが読んでもらえるから」という理由ばかりでなく、

「私は客観的にみれていません」を証明する情報発信を、無自覚に行ってしまわないために。

これって、小さく見えるけど、とても大きなポイントで。見てる人たちは、よーく見てるんだと思う。

誰かに何かを見てもらう、読んでもらうということは、

「誰かの貴重な時間を奪う」ということだ。

このように書いてる僕も、無自覚な時間泥棒になってしまうことはある。

その自覚を忘れずにいようぜ!

と、僕自身に伝えておきたい。

PS ほんの少しだけ、あなたの時間を奪いたくて書きました。











この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?