もし東南アジアの選手兼マネージャーが『もしドラ』を読んだら
もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら
という本をご存知ですか?
ドラッカー著の「マネジメント」という本を読んだ高校野球の女子マネージャーが、その本から得た知識をもとに弱小高校野球チームを甲子園へ導くという物語です。
僕は、東南アジアのラオスという国でサッカー選手をプレーしながら、クラブのマネージャーとしての仕事も兼任しました。
これまでは自分はプレーをするだけだったので、自分がいかに最高のパフォーマンスを試合で発揮するかだけを考えていました。
ところが、マネージャーとしての仕事というのは全体を見渡すことから始まります。
考える単位が「個人」ではなく「チーム」に変わる。
なぜマネージャーに取り組んだのか
僕がクラブに加入したとき、現在も未だ騒がれている新型コロナウィルスが世界で拡大している最中でした。
幸いにも、ラオス国内では感染はほぼ確認されておらず、初年度は全てのシーズンを終えることができました。
しかし、最初に加入するはずのチームは新型コロナウィルスなど様々な打撃を受けてリーグ参戦を断念しました。その決定から2週間ほどで新たなクラブへ移りました。
しかし、そこは「優勝を目指してプレーする」には難しいと感じる状況でした。
始まる前からそれがわかっているのであれば、自分のためにも改善を試みるのが必要ではないかと思った。
現地のスタッフや選手達は「仕方ないよね」という感じでした。
だけど、僕からしたら仕方なくない。そしたら負けても仕方ないよねと言い訳をするだけだろう。
やってみたら何か変わるかもしれない。
それであればチャレンジするしかないと思ったのが理由です。
とは言っても、未経験の分野ですしそんなに簡単なものではなかったです。
その分、学びや気づきがとても多かった。
なぜなら、考える単位が「個人」ではなく「チーム」に変わり、同時に両面からの景色を見ることができるからです。
選手としての目線
まず、選手としては自分が活躍して勝ちたい。
もちろん選手としての最大限の努力をしていることを前提に話をさせてもらいますが、クラブに対する不満を抱えているのが普通だと思う。
特に東南アジアのクラブでは、日本の当たり前というのが当たり前ではないのでよりストレスを抱えることがある。
しかし、それはどうにもならないことのように感じていた。
なぜなら、外国籍選手としてプレーする場合には少数派であるし、よそ者なので
前提として「理解させる」よりかは「理解する側」である。
環境に対しての要求はとどまることはないだろう。求められるだけを求める。
その上限に関しては選手が決められることではないからだ。
マネージャーとしての目線
マネージャーとしては、クラブの運営資金の調達や、その資金によってシーズンをどう戦っていくのかを決める。
そうすると、「できること」と「できないこと」がはっきりとわかる。
常に選択をしていなかければならない。
勝つために必要なことがあるのであれば全て取り組みたいし、そこに資金を当てたいと思うのはもちろんのことなのだけれど、
自分たちの予算をもとに割り当てていかなければならない。
選手の不満が聞こえれば、「そんなこと言うなよ」と思うよりかは、選手として自分もプレーをしているので「そうだよな・・・。」となる。
それができるからこそ、悩むことが多かったし
それができるからこそ、解決できることが多かったと思う。
給与の配分なども本当に難しかった。
選手兼任マネージャーを経て
今回は、それぞれの視点に関してあまり多くを語ることは長くなってしまうのでしないけれど
この経験から学ぶことや気づきはとても多かった。
同時に両方の立場に立てるという経験というのはものすごく貴重だと思う。
両側の悩みや不満を一度に持つことができるからだ。
選手としての不満を解決するでもなく、マネージャーとしての不満を解決するのでもなく
選手とマネージャー両方の視点から物事を俯瞰し、双方向にとってより良い解決策を導き出すという努力をするからだ。
これがどちらかの立場であれば、もちろん自分の不満を解決してくれよとなるかもしれない。
「お前の気持ちもわかる」というところから始まるし、実際に対応する選手達も、相手が自分の立場と同じでもあるから納得しやすい部分はあると思う。
それでも、全てを解決するというのは至難の業だ。
時には解決できない部分は「解決できない」として、その代わりにどうそれをカバーしていくかを考えるべき時もあったと思う。
子供の頃、両親にお菓子をねだった経験はありませんか?
子供の目線に立つと、「お菓子を買ってもらえない理由がわからない」のだけれど、
親の目線に立つと、「お菓子を買えない理由もしくは買うべきではない理由」がある。
親は子供時代を経験しているので、子供の気持ちはわかると思う。わかったうえで買わないことがあるんだ。
でも、子供は親の経験がまだないし、理由はわからないから駄々をこねるのかもしれない。
じゃぁこの時に、「何でも欲しいものを買ってもらえた」子供時代を経験している親と、「なかなか欲しいものを買ってはもらえなかった」子供時代を経験している親とでは考え方も、感じ方も異なるだろう。
きっと、選手時代に苦労した経験がある指導者が多くのことを伝えられるというのはこういうことなのかなと思った。
東南アジアでの目線
そして、さらに難しかったのはここが日本ではないということだ。
まず時間を守らないし、練習に臨む態度も日本のそれとは大きく異なる。
当然、日本で育ち日本で学んできた僕はそれらを受け入れることは容易ではない。
しかし、ここは日本ではない。
僕らにとっては主戦場がアウェイなのだ。
だから、「これはこうなんだ!」という主張はしてはならないと思った。
「なるほどね〜。」と言いつつ、「こうかもしれないけど、どう思う?」というような提案をしていく作業を繰り返す必要を感じた。
もしくは事前に、自分が求める環境を用意してみる。
そして彼らの反応を見る。
それが良い反応もしくは結果を導いているのであれば続けるし、そうでないのであればそれが「日本では正しいこと」であれ、考え直すべきだ。
日本人としての目線: KAIZEN
僕は選手として、マネージャーとして仕事に取り組んできたけれど、
まずは日本人として取り組んだと思っています。
東南アジアでの生活ももう6年になりますので、ある程度の空気感や温度感は把握できていると思います。
僕は慣れるけど、染まらないを信条にしています。
日本人というのは、問題に直面した際にそれを知恵を絞って改善することができると思います。そういう考えを持っていると思います。
それを実行できるかどうかは人次第だとは思います。
この改善というのは、実は英語に適した言葉がないんです。ここでいう改善というのは、お金をかけずに知恵を絞って「やりくりをする」ことを指します。
トヨタは1984年、GMと合弁会社をアメリカ西海岸のカリフォルニアに設立した。アメリカ大陸への初めての工場進出だ。その際にいろいろなトヨタ用語を英訳する必要に迫られた。しかしこれが大変な作業だった。最も重要な用語である「改善」をどう英訳するかからすでにもめた。アメリカ工場の米国人とトヨタの担当者が協議したが、結局「改善」については英語にその意味に適合する言葉はないという判断が下され、英語でも「kaizen」という発音にすることに決定された。素人考えだと「improvement」でいいのではないかと思う。しかしこの米国人はこう言った。「このimprovementは確かに『改良する』とか『上達させる』とか『向上させる』とかいう意味で最も近い言葉ではあるが、どうしても『お金をかけて』というニュアンスが入ってしまう。トヨタの改善の最も重要なニュアンスである『お金をかけずに、知恵を絞って』ということはまったく概念にない。この際『kaizen』という日本語をそのまま英語にして『お金をかけずに、知恵を絞って』ということを盛り込むようにしたい」
引用:https://news.aperza.jp/改善の英訳は?/
僕は、このKAIZENに取り組むことができるのが日本人の強みなのではないかと思った。もちろん、時にお金をかけて改良していくことも必要だけれど、それだけではないと確信している。
結局は今ある既存のものが改善されていかなければ真の意味での進化やイノベーションは起きないし、起きても崩れてしまうと思う。
改良というのは上書きのようなニュアンスだと思う。重なって埋もれていった部分は隠れていくだけだ。
では、その根っこの部分というのは何なのだろうかと考えると、
僕は「情熱」や「目標」だと思う。
その改善が東南アジアの課題だと僕は思います。
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