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ついついしがちな事|人間は”楽だから”何かのせいにしたがる

コロナのせいで…

コロナがなかったら…

こんな事を口癖のように呟いていないでしょうか?

事実として、この新型コロナウィルスによるパンデミックが発生していなければ違った景色や、瞬間を迎えている人も少なくないと思います。

だから事実は事実ですが、それは変わらない現実なのです。

そして、そのコロナウィルスでさえ誰が作り出してしまった物でしょうか。

その答えは人間です。

人間活動によって生み出された数々の機会が巡り合って、この新型コロナウィルスの世界的なパンデミックに繋がっている。

だから、コロナのせいではなくて、

本質的な原因を追求すれば、僕ら人間が引き起こした事なのです。

それはこの数年で引き起こされている事ではなくて、何十年、何百年と言う人間の活動の蓄積によって生じた環境問題、公害なのです。


だけど、僕ら人間は何かのせいにするんです。

なぜなら、楽だからです。

僕のいるラオスのサッカーが破綻しかけている。
現地の人々はコロナのせいで、と口を揃えて言う。

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だけど、新型コロナウィルスのパンデミックが始まったのは2019年だ。

この国のサッカーの衰退は2014年から始まっていたはずだ。しかし、その頃にはその問題点に目を向けなかった。

なぜなら表面的にはうまくいっていたからだ。

なぜ僕がこんな事を言うのかと言うと、その時からの問題と今抱える問題は同じだからだ。

仮の話をするのは好きではないけれど、

ありにあの時代にその課題を解決していたら、今は違った景色を描いているかもしれない。

人々にもっと必要とされるスポーツであって、不要不急ではなかったかもしれない。

このコロナ禍でも、人々の求めるエンターテイメントであり、どうにか試合を再開させてほしいと言う外からの要望もあったかもしれない。

だけど、現実としては不要不急な物であり、なるべくしてなっているのが現状だ。


つまり、人間は現状を嘆く。そして、誰か(何か)のせいにしたい。

繰り返し言うが、そうすることが楽だからである。

でも、それは問題の本質から目を背けているだけなのである。

新型コロナウィルスも中国が悪いんだと言えば楽だ。

確固たる証拠はあるだろうか?

ニュースを見たら武漢がどうだとか言っていたから、きっと中国が悪いんだと言うことで楽になれる。

僕はこの新型コロナウィルスのパンデミックの原因は、地球破壊による物だと思う。

温暖化や環境破壊によって地球に住む人間以外の生物たちの生活様式が変化していき、もともと人間に接するはずのなかったウィルスが人間との接触機会を得た。

それがたまたま中国の武漢というところで新たなケースとして発見された。

そして、そこがたまたま人口が多い地域や国であった。

じゃあ人口が多い中国が悪いんだとまた言うかもしれない。

いやいや、新型コロナウィルスの感染拡大の様子を見ていたらその広がり方はご存知だろう。

ビリヤード的に広がっていく。

一つの球が別の球にぶつかり、その球がまた別の球にぶつかる。

そんなようにして広がっていくのだ。

環境破壊の要因の一つに大量廃棄というのがある。

2018年には高級ブランドのバーバリーやカルティエなどがこの大量廃棄の事実を非難された。

商品の売れ残りが安売りされることによって、ブランド価値が低下することを懸念して、

それならば自社で焼却処分してしまった方が良いという考えに基づいている。

しかしそれは世界の高級ブランドに限った話ではない。
日本のユニクロなどのファストファッションでも騒がれている問題だ。

日本でも年間10億点もの廃棄がされている

再販売される一部を除き、焼却されたり、破砕されてプラスチックなどと固めて燃料化されたりして実質的に捨てられる(新品衣料の)数は、年間10億点の可能性があるともいわれる。

これは日本国内だけで、年間に10億点もの新品の衣料品が処分されているということ。

しかし、これだって消費者があって製造される物だ。
大量に生産される理由としては、

多くの人の手に届くように、なるべく消費者の手の届く価格での提供ができるように

という理由もある。だとしたら、消費者側の責任でもある。

最大の理由は、需要予測の“読み外し”だけれど、少量生産になれば必要な需要を満たすことができなくなってしまうこともある。

人気の商品なのだけれど、人気になった瞬間にもう売り切れているなんていうことになる。

ファストファッション界では商品のサイクルは早くなり、数多くの安価な新しい商品が次々と店頭に溢れることで、売れ残りが増えることになる。

そうなれば、処分しなければならない商品が大量に出るのは当然だと言える。

そして、安く生産するためには安い労働力を買う必要があるために、工場での労働者の環境や人権問題まで騒がれている。

こうした問題の解決策としては、やはり必要のない商品を製造しなくても良いように改善していく必要があるだろう。

高級ブランドならオーダーメードを増やすという手もあると思う。高級ブランドの本来の顧客はこちらだ。それを一般庶民の手に届くように大量に生産してコストを落としている。だから、これも我々消費者の欲を満たすためになされている事だと考えるべきだと思う。

また、ビッグデータを使ったAI(人工知能)によってそうした需要予測の精度を上げるという事も考えられる。


バーバリーでは、「再利用、修理、寄付、そしてリサイクルという取り組み」を強化すると発表している。

途上国でのリユース活動

僕の取り組んでいる活動としては、不要となったものの利活用、リユースだ。

東南アジア、発展途上国を中心として同じように頑張っている選手たちがよりその努力が報われるようにと、背中を押すような活動をしている。

例えばサッカーシューズは近年、価格が大幅に上がって、高額になっている。

僕が中学生の頃は1万5千円で高額だったけれど、いまは4万円もするシューズも存在するし、

当時、1万5千円の層の商品は現在では2万円台後半になっている。

これは人気ブランドの値上げに合わせて市場の価格が調整されたことによると思う。

人気ブランドの商品よりも大幅に値段が安かったら、機能性が低いのではないかと思われる。

だから、ある程度の値段を合わせていると僕は考えている。

すると、途上国の子供達にとってはそれは手の届かない商品になる。

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スポーツをする上で靴は足を保護するためにも必要な物であるし、そもそも裸足で走り回っている子供たちが整備されていないグランドでサッカーをして怪我してしまうかもしれない。

僕の支援をしたモンゴル女子サッカー選手たちは人工芝でプレーをしているので、それまで適したシューズを履いていなかったことによって膝を怪我している選手が多くいた。

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だから、膝への負担を軽減するために適したシューズをリクエストさせていただき、支援をした。

日本のモノづくり

日本は素晴らしいモノづくりの技術がある。


「MONOZUKURI」と言って海外の人たちへ通じる事すらある。

クリアしなければならない問題や理解が必要だとは思うけれど、そうした素晴らしい製品たちが焼却されてしまうということがもしあるのであれば、

寄付や利活用することによって、もともとあるブランド力をさらに引き上げることだってできるのではないか?と思う。

ブランド力の再活用

そのブランド力によって、環境に恵まれない子供達が躍進するきっかけを与えることがさらなるブランド力やメッセージ性を訴えかけることも可能ではないでしょうか?

その商品を購入することによって間接的にそうした活動を支援するということにも繋がるかもしれない。

ブランドの持つ価値を自ら手放すのではなく、そのブランド力をさらに活用して、人々の光や希望になることが出来るかもしれない。

俄然、燃やしてしまえばそれまでだ。

サステナブル

近年では、サステナブルという言葉を耳にすることが増えていると思います。

「持続可能な」、「持ち堪える」という意味の地球環境や経済システム、社会の文明の持続可能な発展について考えることがより重要視されています。

2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す、「SDGs(Sustainable Development Goals, 持続可能な開発目標)」という国際目標が設定されています。(2030アジェンダ)

サステナブルな暮らしを目指すためには、そうした資源に対する取り組みとして3Rが大切です。(リデュース、リユース、リサイクル)

①リデュース:製品の省資源化や長寿命化などの取り組みを行い、廃棄物を極力減らす。

②リユース:一度使った製品を回収して、必要に応じて適切な処置を行い、製品として再利用する。また、再使用可能な部品のみを利用する。

③リサイクル:一度使った製品や、製造に伴って発生したもの(副産物)を回収して、原材料として使ったり、エネルギーとして利用する。

目的を持って生きる

さて、環境問題にまつわる話が長くなってしまったけれど、このコロナ禍を生きるにあたり大切なことはなんだろうかと考えた。

コロナのせいで…

コロナがなければ…

と何かしらのせいにしてしまい、今を疎かにしてしまうのはもったいないと思う。

目的に目を移したい。

あなたはその人生を通して何を達成、実現したいのか。

コロナによって様々な生活様式が変わらざるを得ない状況ではあるけれど、それでも自分たちは何を一度きりの人生で成し遂げたいのだろうか。

なぜ生きているのか。

僕はサッカーを通して、国や性別が違えどグローバル社会においてスポーツ人材が活躍できるという世界を描きたい。

そのためには、まず自分自身がサッカーというフィールドで全力を出し切りたい。

その姿に周囲を巻き込んでいきたい。

最初は自分がサッカーを続けるために世界を移動し続けた。そして、多くの仲間に出会った。

彼らは僕の姿を見て真似して成長していった。
それを見た僕は、僕にできる事を見つけた気がした。


あなたは、その人生で何を成し遂げたいですか?
それはこのコロナ禍においても尽きない情熱を伴う物だろうか。

生きると言うことには、それくらいの熱が必要だと思う。

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