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コミュニケーション能力をどう伸ばすか

英語科教育法IIの第4回。
今回の問いは「どのようなコミュニケーション活動なら力が付くか」
相変わらず大きな問いだ。

実践的なコミュニケーションの力

まずある学生は「道案内などの具体的経験をしておくことで、実際の場面で使える」とし、つまり教室外で起こり得るコミュニケーション場面を想定し、それを経験することで実践的なコミュニケーションの力をつけることができると考えた。
より抽象的な視点として別の学生は「文法の機能面に注目したコミュニケーション活動」と提案した。ではそれはどんなものだろうか。
(ディスカッションの題材にするためというわけではないが)毎回のディスカッションの前に一人の学生に15分程度のコミュニケーション活動を展開してもらっており、そこで行われた活動がどのようなものだったかを振り返る流れに。

このコミュニケーション活動の詳細は省くが、担当した学生は「ただ単にグループ活動を行うのではなく、目的やこの活動の場面や状況などをより明確に活動する必要がある。私は、習った文法が入っていればコミュニケーション活動だ!とかこれから習う文法が組み込まれていれば、文法の機能から入ることが出来てよりいい!と思」ったと振り返り、この日のコミュニケーション活動では実践的なコミュニケーションの力が付かないという反省に至った。

ディスカッション中に導き出された当該活動の課題は妥当と言えたが、気をつけたいのはその活動単体でコミュニケーション能力なるものの総体を育てるわけではないということ。
「話す」力を身につけさせたいとき、まずは「言う」力を身につける必要があるかもしれない。そういう場合には複雑な目的・場面・状況のないコミュニケーション活動にも価値があることは覚えておいてもらいたい。

そもそもコミュニケーション能力とは何か

「コミュニケーション能力」をどう身につけるかという話を一通りした後、話をぐっと揺り戻す。そもそもコミュニケーション能力とは何かと学生に考えてもらう。
「相手の伝えたいことを読み取ることができる」
「相手の伝えたいことを読み取った上で、適切に話すことができる」
「誰とでも仲良くできる」
「人間関係を構築できる」
色々とアイデアは出たが、「相手次第な部分も大きい」という見解に至り、個人に内在する能力としてコミュニケーション能力を捉えることの危うさに触れる。

それでも「(ランダムに話し相手を当てがわれた時に)上手に人間関係を構築できる確率」でコミュニケーション能力を測れるのではないか、という考えも捨てきれない。

そこへの明確な答えはなかなか出せないのだが、最後には外国語教育の話に引き戻してBachman(1990)のCommunicative Language Abilityを紹介して、コミュニケーション能力なるものを測ろうと思ったら「言語能力」単体では測ることができそうにもないということを確認して終わった。

議論を発展させることの難しさ

前期の模擬授業から導き出された大きな問いから出発し、徐々に議論を深める中で問いを焦点化していくことを狙いながら毎回ディスカッションをしているが、今回はなかなか上手くいかなかったとファシリテーターとして感じている。
行ったばかりの模擬授業をディスカッションの際に参照されることへの不安感だったり、曖昧な問いに対する答えをその場で(少ない経験・知識から)考えることの困難さに対する私の配慮・理解が足りないように思われる場面が何度かあった。
出たとこ勝負でその日生まれたディスカッションそのものを極力大事にしたい思いはあるが、(ゼミでも雑談でもなく)コアカリに定められた一つの授業であることを意識すると、どうしても私が教えたいことの方へ議論を向かわせてしまう傾向がある。それによって曖昧性の中にも最低限の学びが保証されるという考え方もできるのだが…。難しい。

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