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文体をめぐる冒険【序章と目次】

――文体をめぐる冒険に出ることを決意した――2022/1/2

ある日、男が昼下がりの美術教室にいた。その場所は、誰もがかつて通ったことのある学校教室に似ていた。ただし、置いてあるものが違った。ノートと机の代わりにキャンバスとイーゼルが、黒板の代わりにモチーフとなる小物や彫像が置いてある。それが美術教室である。

絵心のない男は丸椅子に座り、机上に置かれている直方体の静物と対峙していた。その直方体を鉛筆でデッサンするというのが講師から与えられた課題だった。男は、脇卓に置いた美術の教科書を炭で汚れた指でめくりながら、真剣にデッサンに取り組んだ。

デッサンは無限に続けられるような気がしたし、作業時間はゆうに三時間を超えていた。長針が動くのと同様に、窓から差し込む太陽光に照射された机上に映る直方体の斜影は、キャンバスに描かれたそれとは別の方向を向いている。

男はとにかく教科書に描いてあるように描くことを心がけた。遠近法を意識して構図をとり、デッサン特有の持ち方で鉛筆を動かした。影のつけ方は特に気をつけねばならなかった。何も考えずに縦横無尽に鉛筆を擦り付けて影を塗ってはいけないのだ。筆圧を調整しながら、木材をかんなで削るように一定の方向へと動かし、何度も何度も淡い線を重ねていく。重なった線はやがて流れのある面となり、存在感をを生み出すのだ。また逆に、線の存在感をぼかすこともある。線に指を擦り付けて紙面に絡んだ炭素をちらすことで流れや境界を消しさり、幻想的で深奥なるぼやけを生むことができるのだ。

男は、講師から終わりの時間だよと話しかけられるまでデッサンを続けていた。描いては修正してという作業を永遠に繰り返してできた男の直方体はその時を以ってようやく完成したのであった。完成したデッサンは決してうまくはなかったが、男にとっては特別であった。

その、紙面の上に鮮やかに鎮座する直方体は、男がかつて描いたどの立体図形とも異質の存在感を放っていた。面は重なり合う線の生み出す流れによって独特のテクスチャを持ち、辺は面に描かれた陰影によって自然にくっきりと浮かび上がっていた。直方体を安定的に支える無色の平面の姿が紙面の端に向かってうっすらと伸びていく斜影とキャンバスの余白によって明らかにされていた。自分が作ったその絵を見ていると、かえってその絵が男の見ている景色の画素数を増やして描き変えにきている気がすらしてくるのだった。これが技術かと男は思った。はるか昔の画家たちが発明したものが幾人もの人生を媒介し、わずかながら男の動作の中に刻まれたのを感じたのである。

それからというもの、男は絵をよく見るようになった。絵の前に立ち、作品を構成する素材や絵の具の重なり方を観察する。作者の見ていた風景を想像しながら、脳の中で目の前にある作品を描くようになった。そうして、自分の中にその作者の動作を少しでも刻み込もうとしたのである。

それから、しばらくの時が経った。

男は小説を書くことにした。しかし、もともと小説など読まいし、書くこともしてこなかった男である。思いどおりの文章が書けずに苛立っている姿は想像に難くないだろう。

そこで思い出したのがあの美術で味わった体験であり、男は決めた。

かつて美術の技術を学んだように、文章の技術を学ぼうと。文章家たちの作品と対峙してそこに隠された技術を明らかにしようと。そして、それを自分の中で再構築して執筆動作の中に組み込もうと。

さて、作家たちが己の心象世界を文章として書くのに用いる技術の集大成のことを人は文体と呼ぶ。

己の筆力を磨くために、男は文体をめぐる冒険に出ることを決意した。

最初の冒険道具「文体分析のナイフ」

文体とは作家たちの技術の集大成であるなどと偉そうに述べたものの、実際のところ文体とは何で構成されているのだろうか。

語彙、文法、字面、レトリック(比喩)……?

そこまで考えて男は頭を振った。違う、こんなんじゃ中途半端だ。まずは先駆者が文体についてまとめてくれているような道具を探そう。

冒険を進めるための道具を探していると、お宝が眠っていそうな書籍もとい魔導書を見つけた。その名も『日本語文体論』(中村明著)である。同著の章Ⅳは「文体分析のモデルー実験室の現場からー」という刺激的なタイトルがつけられている。

ここで紹介されている文体分析モデルこそ、伝説級のナイフだ。これで快刀乱麻の如くスパスパ文体を切り刻むのだと男は興奮した。

ただ、一つ大きな問題があった。それは、装備可能レベルの高さだ。現在の男では到底使いこなせる武器ではない。ただ、この世界のいいところであるが、装備レベルが足りなくても使おうと思えば使えるのだ。上澄みだけでも使わせていただこうじゃないか。

そういうわけで、分析項目をまとめた表から男が使えるかもしれないところを引用する。逆に言うと使いこなせそうにないところは引用しない。一体この男がここでどんな不誠実なことをしでかしているのか知りたい者は、原著にあたってみることをおすすめする。

発想、作品世界、題材、表現態度(受け手意識、叙述)、文章展開(冒頭の性質、内容展開、映像展開、連接・呼応)、文構成(文型、主述関係、文長[平均、偏差]、文頭、文末[変化、時制、文体])、語法、語彙(修飾関係詞、連接関係詞、高頻度語、語性、話構成、語種、漢語率、位相、レベル、語彙量)、表記(漢字率、洋字・符号)、修辞(修辞度、比喩、技法、リズム)、体裁(改行、字面)
『日本語文体論』(中村明著・岩波現代文庫)p286-287表より一部項目を引用
※表は階層構造になっており()や[]は下位概念を示すためにあとから付け加えた

何度見ても、おびただしい量の分析項目である。

文構成、語彙項目あたりはなんとなく意味の予測がたつだろう。一方で、説明がなければ分からない項目も多いだろう。同著には主要な項目についてはしっかり解説も書いてあるし、なんならある数行の文を実際に著者がこの項目をすべて使ってハイレベルな分析をしている。男もこれを参照して分析する。するのだが分析のレベルが職人技すぎて、男は著者である中村明さんの書いた単語をお借りすることくらしかできなかかもしれないが……いや弱音を吐いてはいけない。たった一文だけでもいいから著者の想像を超える素晴らしい分析をきめてやろうと思う。

さて、道具の準備はできた。あとは旅に出るだけである。

前書き

旅に出る前に前書きである。本当に申し訳ない。

さて、この物語はフィクションですが、文体としっかり対峙しようと考えています。いくつかの書評記事を読みましたが、文体に言及している記事はあるものの、そこに特化して具体的な言及をしている記事はあまりないように感じました。対してこのシリーズではそのどこよりも細かく文体を見ていこうと思っています。だから最初に『日本語文体論』の細かい項目を持ってきました。(あれを全て使うことは今の僕にはできませんが笑)

タイトルを見たら挨拶がわりにスキを押してもらえると嬉しいですし、少しでも感銘を受けてもらえたらコメントしてもらったりとかリンクを踏んでお買い物してもらったりとかお金をください! 僕が全部使います!(本当に図々しくてすいません)

さて、かなり盛大に息まいたものの、これから書く記事は文学・言語系の大学に通っていたわけでもない素人が独学で好き勝手考えたものをアウトプットするものです。初歩的な間違いもたくさんあると思いますのでそういう時は優しくこっそり教えてもらえるとありがたいです。

全体の目次

新しい記事をアップ次第、説明とリンクを追加していきます。

第一回「三島由紀夫編」

男が最初に向かった文体世界は『金閣寺』(三島由紀夫著)であった。いきなり全日本文豪大会殿堂入りの三島さんのもとに、身の丈に合わないナイフを引っ提げて突撃していく男に、何か一つでも得られるものはあるのだろうか……。あった。基本的にたった三段落の引用文を分析しただけだが、だいぶあった。

巧みな空間表現、事実と夢想を組合せたオブジェクトの美しい描写、文長・文末表現のリズムの調整、対句に近い構造と比喩と意味の引継ぎ等……意識すれば自分の文章も変わるのではないかと感じた。

引用する小説

第二回「綿矢りさ編」

第一回で気合を入れすぎて疲れた男は、二回目はいい具合に力をぬいて書こうとした。したのだが気づけば4000文字を超えていた。それもそうだ、相手は日本平成文学大会芥川賞の最年少受賞者の綿谷りささんなのだから。

でもまぁ4000文字ならいいだろう。前回より、間違いなく読みやすいと思う。そして綿谷りささんの表現方法は、これまた面白い。前回の昭和男性文豪に対して平成女子文豪の文体である。

そして彼女の文体の妙は、品詞分解して明らかになる部分だけではなく、その表現方法にあると考えた。彼女の文章は三島由紀夫のような1人の孤独な人間の心の中を見つめるようなものではなく、他者を見つめ他者に見つめられる文章なのだった。とかまぁ抽象的なことを書いたが、読めばきっと意味は分かるだろう!

引用する小説

『かわいそうだね?』収録の『亜美ちゃんは美人』(ややこしくてすいません。わざとじゃないです。)

第三回「夏目漱石・村上春樹編」

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