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#エンジンがかかった瞬間 高校野球で人生の厳しさを学び、今がある。

こんにちは、地方公務員の新家です。北海道猿払村に勤務しています。今日からnote人生2年目のスタート。

2年目、1つ目の記事はヤマハ発動機×noteのコラボ企画。 #エンジンがかかった瞬間 をお題に。このお題を聞いた時に、真っ先に思い浮かべたのは高校2年生の秋のことを思い出した。

私は高校時代、硬式野球部に所属。部員数が少なかったので、3年生が引退した1年の秋から試合に出るようになった。

中学時代は最高学年にならないと試合に出る機会が無かったので、単純に嬉しかったことを覚えている。

秋の大会を終えて、雪が積もる北海道では屋内の練習が中心。始めに10数キロ外をランニングした後は、階段を使ってのダッシュやウェイトトレーニングをやっていた記憶が。

そして、雪が溶け1年生が入部してくれてポジション争いが生まれる人数に。当時私は、サードを守っていたので背番号5をつけていた。

ただ、5月の大会では5番を背負いながらレフトを守ることに。自分より内野守備の良い選手が入ってきて、私は外野に配置転換されたわけです。

2年に進級した際に、甲子園にも出場経験のある、バリバリ野球をやられてきた監督が赴任し、早速監督に就任。4月のメンバー発表の際には、とりあえず秋の通り配置したものの、5月の大会までに私の内野の適正に疑問があったのだと思います。

そんなこんなで、大会直前に、よく言えば適材適所で私が外野の方があっていると監督が判断されました。

ただ、自分の中ではやりたかった内野手から外野手への配置転換は複雑な気持ち。そして、急ごしらえの外野守備も、打撃も思うような結果を残すことができず・・・。

こうして、調子上がらずに、春の大会以降ゲームに出る機会が減っていくことに。同級生や後輩が活躍する姿を眺めるしかない、やるせなさは結構辛いものがありました。

そして、2年生の夏と秋の大会は背番号が二桁になって、レギュラー選手ではなくなりました。練習の時も、練習試合の時も結果を出さなきゃ、結果を出さなきゃと焦っていくことに。

一生懸命やっているつもりでも、結果が出ない時は出ないものです。悔しい気持ちで、何度か野球部を辞めるということも頭をよぎった。

ただ、実際には辞める勇気もなく・・・。そんなこんなで、オフシーズン。また、室内練習が中心の季節に。

先輩たちが引退し、自分たちが引っ張っていかなければならない存在。試合に出ている、出ていないそんなこと言ってられないという葛藤も。

思うことはたくさんあるものの、考えてばかりいてもしょうがないなと。

この時「今できること、やらなければならないことに集中しよう。」と切り替えることができました。振り返ってみると、オフシーズンで試合からしばらく離れる時期でもあったということも功を奏しました。

とにかく目の前の練習に必死になりました。当初、60kgをあげるのが精一杯だったベンチプレスも100kgを上げられるようになり、バットを振り込んでスイングスピードもついてきた気がします。

今思うと、意識の差だったんだと思います。「一生懸命やっているつもり」から。「全力を出し切る」への変化。まだ、この時は気づいていませんがこの時の練習の積み重ねが、やるべきことはやったという自負となり、その後につながっていったと思います。

雪解けを迎え、北海道にも球春到来。昨年までの不振が嘘のように、打撃の結果が少しずつついてくるように。おそらく、自分を信用できるようになっていたのだと思います。そこまで、急激に実力がついたとも思えませんw


当時はこんなこと思いもしませんでしたが、レギュラー落ちして悔しい思いをした2年生の秋。振り返ると私にとって、エンジンのかかった瞬間。

エンジンのかかった瞬間を体験できたのは、スポーツに真剣に取組み、レギュラー落ちという悔しい経験をしたからこそ。今は良い経験をできたと思える。

だからこそ、この時の経験を、今後の自分の人生にも生かしていきたい。

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