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「夜が明ける」を読んで

昨日「助けを求めること」について書いたのには理由がある。
西加奈子先生の新作長編「夜が明ける」を読んだからだ。西さんは自身が「紙派」ということもあってか、長らく彼女の作品は電子化されてこなかった。しかし今回の「夜が明ける」を機にデジタルへの舵が切られ、めでたく僕も読めることになった。

西さんは人間の醜い部分を書く。主人公は醜くなって、苦しんで、ボロボロに打ちのめされた後にわずか希望を見出す。もちろん面識はないが「彼女は僕のことを考えてくれている」と、そんな気さえするのだ。社会からつまはじきにされた人間を見捨てない優しさが、作品からはいつも伝わってくる。

今回の「夜が明ける」もそう。簡単に言えば「あなたを信頼してもいいですか?」という話だ。信じることって人間の根幹にある、永遠のテーマなのかもしれない。そして時に僕たちは無根拠なものを信じたがる。

例えば電車とかバスに乗っててたまに思う。「どうして僕はこの運転手を信じられるんだろう」って。そいつが昨晩嫁から離婚話を持ち出され、徹夜での協議の末議論は収束することもなく、子供は向こうに取られる事になり、眠気も相まって急に暴走することだってあるかもしれないじゃないか。

でも僕たちは他者を信じるしかない。エイっと飛び込んでしまわないといけない。たまに裏切られたりもするけれど、その傷を抱えながらまたもう一度飛び込むしか選択肢がない。

西さんの本は読んだ後は、世界がちょっと優しく見えてくる。信じる勇気と飛び込む勇気をもらえる。世界はそこまで悪くないってことを教えてもらえる。「夜が明ける」はカナダに住後に書いた初めて長編だそうだ。2019年12月に日本を離れたというから、僕と全く同時期という事になる、運命を感じずにはいられない。

ただ、同じ本を読んだ者同士でどうしても語り合いたい点がある。登場人物が生活保護の受給説明を聞きにいくシーンがある。その時の時代設定が2000年代前半。なのに! 「スマートフォンを触っている女性」という描写があるのだ。
これはどういうことか。作者、ひいては新潮社のミス? いやそれは考えにくい。何か意味があるとしか思えないのだ。これを考察できる猛者はいないのか。

【1月27日の日記】

I could sleep well. I went to the previous house from noon to use Wifi and watched some dramas and wrote an article of note. Today’s article is too long accidentally because I was keen to write while writing. The writer’s passion seems to transmit to readers. In fact, the reaction from readers is very good today. I feel happy then.

よく寝た。昼からWi-Fiを利用するため前の家に行って、ドラマ見たりnote書いたりした。今日のnoteは書いてるうちに熱が入ってきて、つい長くなってしまった。ただ、不思議と著者の熱というのは読み手に伝わるようで反応が良い。こういう時は書いてよかったと思う。

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