道草のやりかた

目的に向かって進むときがある。

射精能力を備えた年齢ぐらいから数えると、基本的に僕には目的の無い時間が存在しなかった。何かしら目標、ゴールみたいなものを設定してきた。

良かったような悪かったような気もするし、実現できたこともできなかったこともある。完璧に叶えたこともあるし、とりあえずカタチだけ帳尻を合わせたこともある。
僕個人の実現能力が高かったとは思わないが、「設定して目指す」というアプローチの破壊力は今年になってじわじわ感じる。そして、このアプローチはやればやるほど精度が増す。

「脇道に逸れたり、別の対象に気を取られたりするのは、時間や労力の無駄になるからできるだけ避けた方が良い」と思っていたが、今現在はそうは思わない。

そういった道草から新しい情報がもたらされ、本筋を飛躍的に効率化するアイデアを思いつくことだってあるからだ。一概に 「道草するな 」とも言えない。だけど大事なことは「今俺は道草している」という自覚だった。

その自覚の下、多少なりとも後ろめたさを持っていれば、大きな無駄にはならなかった。そうまでして道草をするのは、何かメリットがあると感じているからであって、その予感を信じた方がいいケースが多い。


予感というのは「おそらくたぶん、そんな気がする」ぐらいのものだけれど、そう考える理由が自分の中には非論理的にだが、存在するのだ。

僕の場合、予感はほぼすべて実現してきたように思う。「おそらくたぶん、そんな気がする」はそれなりの手応えを、自分で感じている証拠とも言える。
ただ、超常的な話ではない。新しいことを始めたときには「自分が楽しめるものがここにありそうな気がする」というだけにすぎない。そして大体がその通り楽しいというだけだ。

これが「みんながやっているから」とか「流行っているから」とかで始めると、ガッカリするばかりだ。期待していたのに全然違うという始末に終わる。

「他者からのすすめ」は「自分の予感」よりもかなり確率が低い。

スマホがあることで、この「自分の予感」がいかに衰えているかを考えると怖くなる。こちらの道の方が楽しそうだな、というカンは馬鹿にできない。

そんなものが「進路」になるし、「道」になるのかもしれない。そう考えると「道草」だって「道の一つ」なのだろう。


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