白紙に
大人になっても平気で富士そばで泣いたりする。
富士そばの店員もどこかで泣いている。
彼らは彼らで今夜どこかのバーで泣いたりしている。
大人になると年下ができる。
年下が人のせいにしていたら「人のせいにしてはいけないよ」と優しく言う。大人だからだ。
それを言うことで自分は「どいつもこいつも」が簡単に吐けなくなる。ひとに「吐くな」と言ったせいで自分は吐けなくなる。これまた大人だからだ。
大人たちは「人のせいにするぐらいなら死んだ方がマシ」を地で行って、誰のせいにもできず耐えきれなくなって本当に死んだりする。
とある日は大勢がキツイのに大勢で楽しまなきゃいけなかったりする。もちろん、大人だから。
大勢のノリがキツイ。でも面白いフリが止まらなかったりする。
すると「隣りを不快にするぐらいなら死んだ方がマシ」を溜め込んで、これまた本当に死んだりする。
「大人になる」って、「どうしようもなく無理なことに対して、ギブアップができない係になる」ってことなのだろうか。
もっと明るいし楽しいし夢も希望もカタチになるのが大人だった気がする。
それを望んでいたのは間違いないし、イマも目指しているのも揺るぎない。
そんなときに見知らぬ誰かから放たれた「大人になれよ!」が飛んできて、コメカミにぶっ刺さって抜けない。
大体の「大人になれ」が「ガマンしろ」や「自分を殺して空気読め」という意味合いだったりする。大人ってそんなにつまらないのかなぁと思う。
もっと面白いはずだし、もっとワクワクしていいはずだし、もっと凄いはずだ。
10代はいつか終わる。
でもそれは「楽しい時期が終わる」という意味だけではないはずだ。「苦い時期が終わる」だってあるはずだ。
10代だろうが20代だろうが30代だろうが変わらない。苦い時期が終わっていくといい。だんだん甘くなれよ人生と思う。
本当は生きれば生きるほど、もっと楽しくなるはずではないか。どうせこれからも人間をやっていくなら、良くなりたいし苦しみから自由になりたい。
それでもなかなかうまく回らない日がある。抵抗が通じない時間帯がある。
「キレないでやっていこう、お互い」と呼びかけるしかない。
キレないスネないグレないで粛々とやることをやるだけだ。みんな一緒だ。やることやって天命を待とう。
棄てるのも逃げるのも消えるのも死ぬのも白紙に戻すのも、いつだってできる。解散した側の人間からすると「こっちに来てみると意外と悪くない」とも言えるのだ。
リセットが許されているという事実を見つめると心が静かになる。
いつだって辞めれるし、白紙に戻せる。とはいつだって思っていたい。
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