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募金箱でも下げて、近所の校門の前に立とうかとさえ考えた

「毒」こそが創作のマストアイテムだった。

自分の地元はいわゆるニュータウンだ。
山を切り開いて、そこに家を建てまくり売りまくる。この形態は千里ニュータウンや八王子ニュータウンなどが先駆けだ。

「ニュータウン」という名称はカタカナだし、かっこいい。でもその実情はけっこうキツイ。

とにかく清潔なのだ。完全に殺菌消毒された場所は毒をブチ殺してしまう。何事も過ぎたるは及ばざるだ。
僕の人格形成において「一定量の毒素」はある程度のアイデンティティだった。そして何かを創る上で、真水では何も作れない。

「治安」のためならすべて潰すぞと言わんばかりのおばさんたちが、野犬のように吠えた。オバさんらの努力は実り、地元にはコンビニもゲームセンターも楽器屋もやってこなかった。

正義のためなら誰を傷つけてもいいと思っている思想を持つひとたちがおぞましかった。

今もそうだが、正義を打ち立てたとき、人間は想像力を失う。

相手が不当ならば、自分は正当であると信じるようになり攻撃を開始する。その糾弾の殺傷力は次第に増していき、やがて怪物へと化ける。怪物は分裂を繰り返し、同じ思想を持つ者を増やしていく。

「な!?お前もあいつが悪いと思うよな!?」
「う、うん・・・」

これを繰り返してネズミ講のように増える。

そんな蛆のようにわく「正義の大人たち」が巣食う学校も苦手だった。

中学の一年、二年はとても通えなかった。
あの空間にいると、果てのない恐怖に飲まれ、戦慄が絶頂を通り越してしまいそうだった。

どれい

反して、幼少の頃の僕はずいぶんと可愛がられる子どもだったらしい。
これは残念なことにいわゆる天分の類ではなく、やたらと察しが良かったので、どうすれば親や親族、周辺の大人たちから施しを受けられるか、常に考察し続けていたからだ。

愛嬌の乱用によって恩恵を得ることはできたが、次第に彼らの性根が透けて見えるようになった。透視能力が身についたというわけではないが、発言を検証する癖が習慣として刻まれてしまった。

その先に見えたのは、人間が全身から発している目を覆うような欲望だった。

「正義の大人たち」は金や利権、カースト、格式を喉から手が出るほどに求め、同族の価値観を持つ賛同者を探し続けていた。じつにキモかった。

こういう『金や利権、カースト、格式』みたいなものは政界のような場所でこそ生まれるイメージがあるが、現実には違う。
ごく普通の家庭、ごく普通の教員、ごく普通の親同士が笑顔の裏で粘りを含み、腐臭を漂わせていた。

表面的な親交に隠された強欲、猜疑があまりに下劣で、それらが届かないどこかへ逃げたかった。
すべての子どもは絶望しているが、やはり僕も例に漏れずそうだったのだ。

結果として、十代のうちに何とか脱獄に成功した。

何も考えずに決めた住処は、淀川の北に位置する繁華街の一角だった。

「町の位」など測定しようもないが、「西成以上、長堀未満」ぐらいだろうか。様々な法律が緩んだ下町は性に合っていた。

しかし金も根性も適合力もない男が通用するほど、「生活」は甘く無かった。どのバイトも続かなかった僕の貯金はすぐに底をついた。
募金箱でも下げて、近所の校門の前に立とうかとさえ考えた。

一人暮らしを始めて三ヶ月経った頃、とうとう精神を病んだ。梅雨は人間を弱くするらしく、自分の中の「漢」のようなものが低気圧に殺されていくのを感じていた。

諦めと希望を持って、首吊りセットを部屋に設置した。

これは案外心に良い効果をもたらした。「最悪死ねる」、「いつでも死ねる」というのは肩の荷が降りるらしく、生きづらさがマイルドになったような気がした。そしてそのロープを見ていると、歌詞が、メロディが滑るように書けた。

ここまで生きてこれたのはなぜだろう。

たぶん夢のおかげだ。夢は誰でもつかめる。才能よりもむしろ持続する能力があればの話だが。これもまた創作のマストアイテムか。

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