人間の切り方!

ダメ出しをされることが多い人生だった。「恥の多い人生」かどうかはわからないが、ダメは出される人生だった。

ダメ出しは別にいい。その時期の自分に相応の謙虚さがあれば、レベルアップにつながるだろう (それ相応の根拠があればだが)。

しかし「あなたのためだから」と言う前置きから始まるダメ出しは、なかなか素直に聞けなかった。

全部が全部でも無い。聞いて本当に役に立ったこともある。

しかし「忠告を聞くか聞かないか」の基準は、相手を尊敬できるか、好きか嫌いかで決まりがちだ。

「なんかしっくりこねー。素直になれねー」という時期が来たら、そのアドバイザーからは離れるべきなのだ。「素直に聞ける自分」というのも永遠ではない。
反対に、後輩が素直に聞いてくれなくなったら、もう何も言うべきではない。物理的な意味ではなく、精神的な別れの時期が来ているということだ。

好きになったり尊敬できる相手というのには、それなりの理由がある。だからそのひとの言葉は響くし、素直に受け入れられるのだ。

「あなたのためだから」という言葉を吐くのは簡単である。親や先生、先輩の得意技でもある。だけどその言葉に責任を取れるひとはほとんどいない。

極論だが「その通りにして、出た分の負債は被ります。利益は定めたパーセンテージを分配します」というカタチになって、助言というのは初めてイーブンになる。

それだけの決済力を持つひと自体がそもそも社会には少ない。そうなると、やはり「好き嫌い」で決めてしまってもいいのだ。

「関わらずに生きていく」というのは、人生を楽にする技術の一つだとも思う。

「関わり方」というのは、「深める」だけではない。

「人間関係の話」となると、「仲良くなる方法!」ばかり焦点が当たりがちだが、足し算だけでなく、引き算も大切だ。


世の中には「仲良くなる方法」が溢れかえっている。
ならば距離の話し方、遠ざかり方の方が希少ではなかろうか。足すばかりでは仲良くなれないのが人間だ。

離れ方は簡単だ。

連絡を遅めたり、誘いに乗らなければいいだけだ。ただ、その「離れる」重要性に気づくということが大切なのだ。

こんなに考えるのは相手が大事なひとの場合だけでいい。どうでもいい年上はさっさとカットしてしまう方がクールだ。

世の中には自分が上に立ちたいがために、何か言いたい気持ちを抑えられないひとがいる。こうなると末期だ。結局「自分のため」に助言を放り込んできているのだ。

関係を切ってもいい人間だったら、早めに切り捨てた方がいい。

「自分の大事なひとの大事なひとがクズである」というケースが何度もあった。切りたくとも切れないのだ。あれはつらい。しかしそんなことは稀だ。切れる関係を切れるというのは、幸福なのだ。

改めて思う。人間関係は強く小さくがいい。
ベストじゃなくても、ベターは強く小さくだ。

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