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俺の日常、あいつの異常

自分にとっての普通が相手にとっての異常であることが往々にしてある。このギャップが激しいとき、男は泣く。超泣く。

小学校の頃、「カレーにソースをかける」ということを実行した男子がそれだった。給食の時間、カレーにソースをかけて食べていた。
彼はとんかつソースみたいなドロドロした液体を家から持ってきてまでかけていた。

その様をみんなは笑った。「コイツはバカだ」と大笑いしていた。圧倒的多数に侮辱されたことにより彼は泣いた。泣きながらカレーにソースをかけていた。かけないとカレーなど食べられないらしい。「火を通さないと食べられない」みたいな文脈で語っていた。

彼の世界、彼の家庭では普通なことが教室という位相の中では異文化の極地のような扱いだったのだ。

このような光景はあちらこちらで見られる。関西から関東に引っ越せば当然だろうし、50代が20代と話しても発生する。同じ地区でも同じ年齢でもカレーを通してアレだけの悲劇が生まれたのだから当然だ。

表現の世界においてはなおさら顕著だ。そのひとの音楽にとっては普通だけど、対バンにとっては異常だということも多い。

全然MCのないバンドとMCありきのバンドがいることもそうだし、演奏する音量もそれぞれの「常識」がある。

「表現の世界において同業者はいない」というけれど本当にそう思う。「自分にとっての普通」が少数派になりすぎるとつい多数派に合わせてしまう。

ライブの一曲目は派手にスタートしてしまうし、イントロは10秒以内にしてしまうし、サビに到達するのは60秒以内にしてしまうし、つい分かりやすい歌詞とメロディに書き直してしまう。

これを繰り返して4,5年も経過すればいわゆる「典型的なバンド」が誕生する。

地方のバンドより都内のバンドはどうしても「典型的」になりやすい。ライブハウスの店長も比較的若いし、現場ですぐに結果の出やすい方法のアドバイスが多いからだろうか。それとも「多数派」になるだけの数の総量が単純に多いからだろうか。

助言を聞くのは大事だが、スラムダンクの桜木花道の「お前らバスケかぶれの常識は俺には通用しない。素人だからよ」という言葉を胸に留めておくのもまた大事だ。

真昼のコンビニでキレまくっているおっさんを見た。コーヒーが出てこないそうだ。僕も経験がある。たまに壊れるのだ、あのコーヒーを出す機械は。

それにしても家族を殺されたばりの怒りだった。「こいつは怒りすぎだろう……」と思ったが、あくまでこの怒りハードルは僕の普通であり、おっさんの普通とは違う。

コーヒーマシンが壊れても僕は怒らないが、それはおっさんからしたら不思議なのかもしれない。

何で自分は怒るだろうと思ったので振り返ってみたが、昨年怒った案件を集約したらすべて二つだった。

・侮辱系
・伝達事項を聞いたふりをされてすっぽかされる

「ミスられる」や「騙される」や「傷つけられる」「思い通りにいかない」という件については、あまり怒りが沸いてこない。

おっさんはここらへんでキレていることが多いのだろう。

僕はむしろ「ナメられる」という相手に油断される状態のほうが嫌らしい。

ここにきて、いろんなことをヘラヘラと楽しくやり過ごせる力の強大さを感じる。せせこましいと孤独が強くなるように思う。大人になれば「今ヒマ!?」と連絡を取れる相手が増えるような気がしていたのだがそうでもない。世知辛い。ただでさえ寒いのに。

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