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祭りにいっつも行けない。いっつも

十月到来。夏がすっかり生き絶えたという感じがする。

そんな夏の風物詩といえば祭りだ。誰が何と言おうと祭りに決まっている。「夏フェス」というぐらいだから間違いない。

しかしもう何年も行っていない。東京は開催数が多いのか、時折歩いていると祭りに出くわしてしまうことがある。行きはしないが遭遇する。

そんな祭りがわりかし苦手だ。大嫌いというわけではないが苦手だ。

あの数え切れない人数が、同じ座標軸に寄り添っていく感じが空しい。あんなに側にいるのに、それでも同じ場所に立つことはできない。微妙にズレてしまう。だのに必死に距離を詰めて、そこに引き寄せられていく。

あの「こんなに近いのに一つになれない」というシチュエーションを大人数で目の当たりにすると怖くなるのだ。

人間という生き物は同じ考えを共有することも、同じ痛みで泣くことすらもできない。そんな事実がただただ浮き彫りになるみたいで、惨たらしくて胸が締め付けられる。

あの大勢の中にいると「僕たちは死ぬまで独りだ」と途方もない侘しさに壊れそうになってしまう。

だけどたまに、本当にたまにだが、覗いてしまう日がある。雰囲気だけでも味わいたいのは、新しい傷口をわざと押してしまう快感に近いのかもしれない。

「こんなにも人が住んでいたのか」と思うほどの人口が小さな町に溢れ、皆どこかあたたかい場所を目指していく。それを眺めていると、子どもの頃を思い出す。

文化祭の最中に校庭を眺めたり、クリスマスイブにイルミネーションの通りを一人で歩くような、そんな大枠の外にいる開放的な寂しさが次第に膨らんで収束に向かう。あの感覚はなかなか味わえるものではない。

いつの間にかオレンジの空が薄く透き通る夜空に吸い込まれ、街全体が年に一度の儀式を待ち侘びていく。

ちょっと涙ぐむぐらいには祭りは美しい。

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