平井式人事論!

「お前にはがっかりした!」と思うことがある。人間だもの。

でも言わないようにしている。そもそもそいつに期待した自分が間違っているからだ。

なぜなら「他人は自分の思い通りには決して動かない」という大原則がある。忘れてはいけないいくつかある座右の銘の一つだ。

僕自身、「お前にはがっかりした」と年上に言われてきた。百回ぐらい言われてきた。それほど僕はひとを失望させてきた。

しかしその年上は馬鹿である。

大原則に乗っ取るのであれば「平井よ、お前が俺の思い通りに動いてくれないことが気に食わない」という話になるからだ。

今思えば、がっかりさせたことなんて何一つ気にする必要なかったのだと気づく。「勝手にがっかりすんなよ、俺はもともとこういう人間なんだよ」と心で毒づけばよかった。落ち込んでしまっていた過去の自分を殴りたい。

「他人は自分の思い通りには決して動かない」がテーマだが、そもそも他人が自分の思い通りに動くと思っているなんて、何様のつもりなのだろうか。

しかも「お前にはがっかりした」という自分の責任を逃れ、他人に心的ダメージを与えるというオマケ付きだ。加害側はそれを分かっていて使っている。

そんな雑魚の言葉は無視でいいのだ。人間は誰かの操り人形ではない。

あなたは他人の期待に応える必要なんて全くないのだ。そして僕も他人の期待に応える必要などなかった。

「期待」という言葉に前向きな輝きを感じることもある。だけど、勝手に期待して勝手に失望しているだけなのに、「期待された側が悪い」という図式ができあがるケースが多い。

「期待しないなんて寂しいわよ」というひともいるだろう。「そんな考え方で孤独になるんじゃないかしら」というひともいるだろう。

違う、と思う。

僕の会社では期待もされていなかったのに、ひたすら頑張ってド底辺から副社長になった人間がいる。月収が14万円から300万円近くになった。年収では無く月収だ。

だけど、別に「期待しているからな」という言葉は送っていなかった。ていうか最初存在すらあまり認識していなかった。

こちらの考えや期待通りに動いていたわけではない。そいつが勝手に頑張っただけだったのだ。

もちろん頑張り始めたら目立つ。だから機会を与えた。これは「期待」ではなく、「機会」だ。すると実力も無いのに、時間と熱だけでその試練を埋めまくってしまった。

「期待」から始まったわけではないが、きっとそれは孤独ではなかったはずだ。

他人に認められるのは嬉しいが、他人の声でいちいち落ち込んで、時間やエネルギーを浪費しているヒマなど無い。一喜はしても一憂はするな。これもいくつかある座右の銘の一つだ。

あなたにはあなたの人生がある。
他人には他人の人生がある。
自分の行動は全部自分で決める責務があるし、権利がある。

自分の行動に責任が取れるのは自分だけだ。

相手が自分の思い通りに動かないからこそ面白いのだ。

「思い通りに動かないと思っているけれど、動く『可能性』で考えるのが人事であり、動いてきた足跡を根拠に『機会』を与えるのが人事」だ。

最近また一つ増えた座右の銘だ。

やはり「調子よくうまいこと言うやつ」というのが一番恐ろしかったりする。

僕たちはたまに「他人は思い通りに動かない」という原則が、頭から抜け落ちるからだ。「調子良くうまいこと言うやつ」はそのスキにすべりこんでくる。



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