性格の歪みを直す方法
一人暮らしを始めてよかったこと悪かったことが山ほどある。
幸か不幸かわからないが実家に住むよりも、よかったこと悪かったことが起きまくる。しかしそれゆえ、「濃く」なるのだ。
良いことだろうが悪いことだろうが、起きないよりは起きる方が人生は豊かになるらしい。
誰かとの別れは、よりいっそう響くし、風邪のときの精神的負荷は倍加する。
どんどん孤独は加速していくし、そのせいで攻撃的になっていく。まわりにバキバキに噛み付いて、「一風変わった感じ」が自分のアイデンティティだと勘違いし始め、改めることもない。
「このワガママのような歪み」があるからロックなのだと痛々しく思っていた。
ひいき目に見てゴミクズだったあの頃の僕は「変な人間」であることを「自分らしさ」と履き違えていた。
しかしこんなものは、生まれつき誰にでも備わっているただの調整ミスなのだ。とりたてて珍しいことでもない。こんなもので「ロックである」なんて自己性が手に入るはずがない。
一人暮らしは自分と向き合う時間ばかりになるので、このバカさはじっくり煮込まれて苛烈してしまった。ワガママを前面に出して、「素でいることが俺の誠意」と凡人丸出しの結論で暮らしていた。
言うなればどんどんバカになっていった。
何もしていないくせに、何者でもないくせに、まわりのすべてを見下し始めた。同級生や同業者を見て、「俺はもっと、マシな人間だ」とねじくれた目線のまま、心の中で吠えていた。
でもアレは何もしていないからこそ見下せたのだと思う。何もしていないやつは何も知らないので、何も見えていない。
当然、何もしていないので誰も聞いてくれない見てくれない。
でも自分は只者ではないと信じ込んでいるので、何かを始め出す。認められたくて仕方ないのだ。「実際にやる」に到達した瞬間だ。
何かを始めると、どんどん打ちのめされていく。大したことない自分に気付く。上のレベルは容赦なくて、ひたすらに踏み潰されるようになる。
僕は成り行きもあって「歌を書いたり歌ったり、文章を書いたり。それを誰かにバンと出す」という行為を十年近く繰り広げた。どのレベルにいても打ちのめされた。「俺もようやくこのレベルまで来たか」という安息の地など一箇所も無かった。
しかし、「とにかくやる」ということで人間性を整頓していったように思う。
「実際にやる」による傷口はひどかったし、化膿してそのまま死んでもおかしくなかった。だけど、口だけ野郎で無くなった瞬間から少しずつ僕は育まれた。
でもその成長は決してニコニコしながら歩めるものではなかった。
何かを書くごと、歌うごとに「自分は本気を出せば、すばらしいものを作れる、という可能性」が減っていくのだ。「自分は只者ではない」という可能性のメモリはゼロに接近していった。
書かないままでいれば浸れていた甘い幻想に抗って、少しずつ自分の可能性を減らしていく作業だった。
キツくもあるし、死にたくもなった。それでもやらないといけないし、あしたは容赦なく訪れた。
だけど、この「実際にやる」という授業が無かったら僕は人間をやれていなかった。
ぬるま湯から飛び出て、「やってもできなかった」の可能性を生むアクションは生き方を一気にシビアにしてくれた。「やればできる」と「やってもできなかった」の違いを肌で知れた。
「実際にやる」は可能性を破棄する代わりに「いまの自分」をひとかけらずつ引き受けてゆく作業だ。
そうして「いまの自分」を大事にしていくのだ。只者じゃなかろうがなんだろうが、「いまの自分」を大事にするのだ。
十年前の僕から見たら、今の僕は「すごい人」になると思う。でも結局素材は変わらない。
できなかったことも、できたことも、良かったことも、悪かったことも、起きたこと、起こしたこと、やってきたことはすべて日々を「濃く」してくれる。「実際にやる」がないと、どれだけ吠えても人生はちっとも濃くならないらしい。
今年に入って「過去を振り返って恥ずくなる」ということが減ってきた。
もちろん十年前には戻りたくないし、あんなにキツかった日々は無い。
というより一年前でもゴメンだ。もうあんな毎日はやれません。というぐらいにはしんどかった。
でもその狭間で「なんか少し、ほんの少しだけ、良かったな」とか思うようになった。
少しは「いまの自分」にできることをやってきたからかもしれない。ていうか「目の前の仕事だけをおもくそやる」だけでいいのだ。
過去に赤面したり、未来にビビっても意味はない。人生は刹那の連続だ。
「目の前のことだけに向き合う」なんてホントにキツイ。しんどい。
でも「目の前の仕事だけをおもくそやる」というのはいつだって自分を濃くしてくれる。
今後もできるかは分からないし、「ほどほどに手を抜かないとやってらんない」とは思う。
こんなにキツイこと毎日なんてできない。
ただ、「目の前のことだけに向き合う」と「実際にやる」の価値がどれだけ尊いのかを知っていればいい。
こんなに貴重なことが目の前に転がっているなら、手に取らないのはもったいない。
言い訳と「実際にやる」を目の前に並べる。どっちを取るかそれだけだ。
この記事が参加している募集
音楽を作って歌っています!文章も毎日書きます! サポートしてくれたら嬉しいです! がんばって生きます!