残り僅かな時間

ここんとこ睡眠薬が抜けきらない朝が多い。

飲む時間が悪いという結論に至った。隣でコーヒーを飲んでいる人間と睡眠薬の話題になり、出た結論だ。とにかくなんでも聞いてみるものである。

打ち合わせの約束を入れていたと思ったら、先方が入れていなかった。寂しい。と同時に「こんな風にコケにされたのは久しぶりだ」という怒りがギッチリと溜まった。また一つCD産業が嫌いになる。「CDが売れなくなった」ともうここ十年言われるが、商材や市場のせいではなく人間にも大きな原因があるのではないだろうか。

作った時間を無下にされるとやはり痛い。金を奪われるよりも痛い。

なぜだろう。きっと「死に至るまでの僅かな時間」というやつが続いてるからだ。

そのつもりでバンドをやってきたし、事業をやってきた。

おそらく芸人や漫画家、役者の方もそうだろう。人生を賭けた勝負をしてきた人間はそういう痛々しい影がある。でもみんな同じはずなのだ。

時間=人生=命という式が成り立つならば、どんなひとだって命を賭けて生きている。「時給」というのは「命給」だ。

「自分の残り僅かな時間」の使い方が今日も試されるわけである。「今日は正しかったのだろうか」と思わない日は無い。

充実した日も間違った日もあるが、正解など無い。「そんなに難しく考えなくても」と先日言われたが、どうなのだろう。

「何も考えなくても、難しく考えても野球はできる。ならば考えた野球をやれ」というのは野村監督の教えだが、日々も同様である。

「何も考えなくても、難しく考えても人生はやれる」のだ。

何も考えないで生きるのは自分には向いていない次第である。良いか悪いかわからないが向いていない。考えることを長所にしていきたいものである。

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