見出し画像

81.鈍感になりたい!

Q.こんばんは。
はじめてメッセージを送らせていただきました。
当方、発達障害で障害者雇用で働く30代会社員です。
最近HSPとか繊細さんが生きやすくなるための本が結構話題になってますね。
(本とかを読む限りでは私もどちらかというと繊細な側の人間な気がします。)

発達障害の就労移行支援での訓練を経て、昨年東証一部でボーナスも出るめちゃくちゃホワイト企業にようやく転職し、新卒から長く働き会話がまともに成立する人たちばかりの今の会社で感じたのが、「(良い意味で)繊細な人がいない!」ということです。

繊細だとこんな未来も見えない世知辛い世界、生きるだけでもハードゲームすぎると思いますし、生きていく上で繊細でいることは正直デメリットが多いなあと思うんです。
どうしたら鈍感に生きられるんでしょうか?
もう少し楽に生きられるようになりたいです。

A.一瞬で鈍感になるための方法があります。
『読書をやめること』です。

読書を「共感できるか否か」で判断するひとが多いように思います。

しかし本は捨てるところがありません。「共感できない」という部分からも「なんでこんなことしたんだろう」という視点を擬似体験することができます。

「共感できるかできないか」で本を読むのは非常に貧しいことだと思います。

社会動物である人間は知らないことに対して嫌悪感、アレルギーを起こす生き物です。つまり「異端を潰す」というのは本能的な動きなのです。

この獣じみた本能に立ち向かう読書というアクションは人類の叡智の結晶であり、非常に人間らしい勇気ある働きかけかけではないでしょうか。

ええと、繊細なんすね。
繊細というのは「感情が敏感」と同義としますね。感情過敏なのは「相手の立場」を気にしてしまったり、他人の考えを少なからず尊重してしまうからです。

簡易的に「ひとそれぞれ」という言葉に逃げたくはありませんが、本を読むと『それぞれ』が否応なしに襲ってきます。きっと『読書をやめれば鈍感になれる』というのは効果があると思います。

「俺がこう思うんだから世界中同じ考えであるべき」というひとはきっと繊細ではないでしょう。しかしこれは誤りです。

何故なら全員が「美味そう」という同じ考えで一斉に毒キノコを食べたら人類が絶滅するからです。

「あのひとは食べたけど、俺はやめとこう」という思考が繊細の一歩目だと思います。

ちなみに僕は「他人の考えがあるなど及びもしない」という鈍感な人間を信用しません。というより大嫌いです。

「他人の考えは分かるけど、俺はこうするよ。じゃあね」というのが「優しくて強い」に近くなると思っています。

正直、あなたの鈍感になりたいという理由がまったく分かりません。おぞましいとすら思います。

ただ、「そんな考え方もあるんだなぁ」とまた一つ学習しました。ありがとうございました。

画像1

↓ぜひ登録してお題、相談ください!


この記事が参加している募集

noteの書き方

音楽を作って歌っています!文章も毎日書きます! サポートしてくれたら嬉しいです! がんばって生きます!