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細美さんの王将

温かいものが恋しい季節になってきた。

十月も末週になると「日和」が着くものばかりだ。移動しても「電車日和」、何か食べても「マクド日和」と、あれもこれも日和ってくる。

もう三十回以上、秋晴れの下をくぐってきたのに秋になる度、「この涼しさはいつ来たのだろう」と言いたくなる。スリのごとく夏がコソッと盗まれるので、しまったという気になる。

先日、太宰治の墓を参った。「参り日和」であった。
通院している病院の近隣にあるので、生活圏内に太宰の骨壺が埋められているのだ。

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ちなみに太宰治という名はペンネームだ。本名は津島修治という。

それにしても、この「芸名で墓にぶち込まれる」というのはどういう気持ちなのだろう。

死者の想いはこの際、置いておく。とりあえず、僕らこの世に遺されたものは、どう捉えるべきなのか。

たとえば墓跡に【鬼龍院翔】とか【マキシマムザ亮君】、【江頭2:50】などと彫られていたら、なかなかに痛快なものがある。
「なんだこいつ」という好奇の目はガッと見開かられるだろうし、笑えばいいのか、悼めばいいのか判別がつかなくなる。

あなたも「自分が死骸になった後」を一度や二度考えたことがあると思う。

僕自身は、葬儀を開かれることも弔われることも御免である。海に骨を撒く必要もないし、墓に手を合わされたくもない。法さえ許すのであれば、そのへんに遺棄してほしい。

もちろん死んだ時点で意識というものは無いのだから、自由意志も消失している。死体というものは立場が弱いもので、どう遊ばれても、辱められても、拒絶することすらできない。

『生』という圧倒的な強度のもとに、死亡という決定的な弱点を突かれている気分だ。

死して名を残すというパターンもあるが、これは妙に美学を感じてしまう。多くの芸術家が死ぬことで何かしらを完成させたとも思う。

死んでいったロックスターたちに「生きててほしかった」という気持ちが一切湧いてこない。 

『カートコバーンが自殺していなかった世界』という設定の夢を見たことがある。

夢の中、五十三歳になったカートコバーンが同学年である清原和博と薬物依存症について対談していた。
清原は英語がやけに堪能で、二人が「今だって、目の前に差し出されたら飛びついちまうぜ?HAHAHA!」と肩を叩き合っていた。「最近のマイブームがフィッシュングだ」などと話題が移りだしたタイミングで目が覚めた。それなりに胸を張って言える見る価値のない夢だった。

この文章を下北沢にある、餃子の王将の前で書いている。王将界隈では有名な店舗らしい。

なんでもELLEGARDENの細美武士さんが名曲『ジターバグ』を書くキッカケになったという言い伝えがある。
東京に来たばかりの頃、得体の知れないライブハウスの常連が聞いてもないのに教えてくれた。

「細美さんが言ってたよ!」というエビデンス甘めな情報だった。「嘘付け」という言葉が喉の奥でギリギリセーブされた。

数年前、フェスのバックヤードで細美さんを見たことがある。

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細美さんはグリーンの芝生をのしのし歩いていた。盛り上がった胸筋はシーンだけじゃなく、バックヤードすらも牽引していた。

前髪の一部だけが金色に輝く細美さんは、たしかに目の前にいた。

「おつかれさまです。知り合いから聞いたんすけど、『ジターバグ』ってホンマに王将で書いたんすか?キモめの年上に自慢されたことがあるんです。誇るほどの名誉か?とは思ったんすけど、『細美さんが言ってた』って、やたら偉そうにされたもんやから、頭きてもうて、怒りのせいで忘れられない思い出になってまいました。俺が細美さんに会えたら『いつか絶対聞いたる』と思ってたんです。本当に言ったんですか?細美さん」

という言葉を飲み込んだ。やめといて本当に良かったと思う。世の中は思っていても、口に出さないほうがいいことばかりだ。

王将の店内は、温かいもので溢れている。

相変わらず、一癖も二癖もありそうな敵に回したくないような男たちが、雑多にひしめいている。今まさに第二第三の『ジターバグ』が産まれようとしているのかもしれない。

王将の扉が開いた。炒めものの音が小さく聞こえる。

店内からはヒゲだらけの男たちが、ゾロゾロ出てきた。チャーハンだのラーメンだのを食べたのか、みんな満足そうだ。

細美さんから才能を奪い取って、超太らせたような人々が下北沢駅へとのしのし歩いていく。ジターバグは無事産まれたのだろうか。王将が世界一ロマンチックな産婦人科みたいに見えてきた。目が悪い。

温かいものが恋しい季節になってきた。

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