今できることだけで歩いていく
就職したことがない。
三十路を半ばも過ぎていてこのキャリアだと、それなりに世間からズレた自覚もある。いわゆる「ちゃんと生きてきた」同い年と話が合わなくなることも多い。
その合わない話の中で仲良くするのが人間だし、「合わないぐらいなんだよ我慢しろよ!」で世の中と付き合ってきている。
就職して10年以上経つ友人に「なぜ就職したことがないの?」と聞かれたことがある。
「やることがあったから」と僕は答えたのだが、彼は「別に就職しながら音楽もできたかもしれないし、本も出せたかもしれないし、映画にもなったかもしれない。そういうひともいる」と言った。なんなんだこいつは。
たしかに「やることがあってさ」というのは建前であり、掘り下げると僕はシンプルに就職するのが嫌だったからなのだ。
ではなぜ嫌だったのだろう。
向いていないといえばそれまでなのだが、会社には大体ハウスルールがある。「社風」とも言えるし、「空気」と言ってもいい。おそらくここに「嫌だった」の根幹が横たわっているのだ。
ほら、友だちの家に行ったときの匂いが気になるというか、よその誰かが作った雰囲気に馴染んでいくのが難しいときってないだろうか。あれだ。
もちろん株式会社など150万社近くあるのだから、どこか僕にマッチするところはあるのだろうけど、それを探すのは砂漠で失くしたコンタクトレンズを探索するようなものだ。
こう考えると「就職したことがない」というのは「どこかの誰かが作ったバンドに加入したことがない」と同義とも言える。
「ならば自分で作ったほうがよい」と考えた。自分でやったほうがラクなときってある。
昔、世の中にある音楽はどうもしっくり来ないものが多かった。
歌詞はいいけどメロディが微妙。曲はいいけど、女性キーだから自分には歌えない。など「何かしら微妙にかゆいとこに手が届かない」ものだらけだった。
それらを補完するために自分で作ったほうが早い、という結論に至った。
これは特別なことでもなく、料理に一味加えたり、自分で前髪を切ったり、古着屋で買ったシャツの袖を折って着るアクションと大差無い。
これらは「ほんのりいじる、アレンジする」といった行為だが、創作は編集の延長にある。クリエイトとアレンジの違いは濃淡にしかない。
ただ、僕はそれらの「作ったほうが早い」に依存しすぎたせいで、他の曲をコピーしてきた経験が少ない。ムズイ曲が弾けるようになるより、弾ける内容、難易度で曲を作ったほうが早いしラクだった。
これは今も根深く自分の人生にまとわりついている。じっくりやるのが苦手なせいで、変な部分が未熟なのだ(未だにFコードが怪しかったり、Bコードに至っては押さえられない。中学生以下のギターテクニックである)
さっさと醍醐味を味わいたくて、面倒なことに耐えられないのだ。
100曲近くリリースしてきているが、僕の音楽には純粋なBコードは一つも出てこない。自分の世界にBは不要だと思っている。
「できないことができるようになる素晴らしさ」はあるのだけれど、「今できることで歩いていく素晴らしさ」のほうが何倍も大事ではないだろうか。
努力は成果のためにあって、努力することが目的になると、ただ頑張ってることに酔いしれている酔っ払いになってしまう。Bが弾けたからなんだと言うのだ。
「今できることでいったん最大の成果を出す」というのは悪いことでもない。
「どうやったら成果が出るかな」と考えていれば案外見失わない。成果を追い続けた過去を振り返ると過程にだって価値が出てくる。
僕たちは止まるためでなく、進むために生きている。とりあえず進んで、力が及ばなくなれば止まればいい。Bが必要になってから猛練習すればいい。荷物は軽いほうがいいこともある。
「後々、困ることになるよ!備えあれば憂いなし!」と大人から言われ続けてきたが「困ってから考えるからいいです。いっぺん進みます」でやってきた。
僕もあの頃の大人ぐらいの年齢になったが、体感としてはやはり進まないと困るとこにすら辿り着かない。たぶん弾けるようになるまで待っていたら、ステージに立ててすらいなかった気がする。
「こういう会社なら働きたい」と自分が思う職場も作った。役に立つとさっさと帰ったり稼いだりできる。
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