さよなら、バンドアパート1
1.キレる事前作法として、まず質問
「バンアパは理想が低い!サザンを目指せ!」
マネージャーの怒声が赤坂の会議室を揺らした。倣慢、横柄、不遜を桐喝で和えた味のする言葉だった。
体育教師さながらの体躯をしたマネージャーが、僕たち三人に鋭い眼光を向けている。
ホワイトボードには『二〇一三年の目標』と書かれていた。
『二〇一三年の目標』
・四つ打ち連打
・メロディのリフレイン
・KEYTALK、KANA–BOONをもっと聴く
・サビで手を挙げさせる
・MCを効果的に
... etc
罪状書きにも似た文言目掛けて口を開いた。
「こんなん言われて、『はい。分かりました』言うやついませんやん」
僕の巻いた舌が『言われて』の「れて」にかかった。
「それは意識が低すぎるんだよ!普通はやるんだよ!」
「リスナー祇めてたら、ちゃんとバレますけども」
「一度やってみてから言え!」
「いっぺんやったら、やる前には二度と戻れないんすよ」
「四番煎じぐらいまでなら、まだギリギリウケるんだよ!」
マネージャーは太い腕で机に鉄槌を叩きこんだ。真っ白い会議室の天井、壁、床が感電したように震える。
今朝のミーティング、早々に『目標』を聞かれたので、反射的に the band apartの名前を挙げた。
正解不正解があるらしく、「バンアパ」はこの赤坂の一室では間違いとしてカウントされた。
しかしマネージャーは「サザンです」と答えたとしても「そんなんじゃサザンに及ぶわけねぇだろ!」と怒鳴るだろう。
この世にはキレる事前作法として、まず質問をする人種が一定の割合でいる。
怒りの引き金に指をかけたままクエスチョンを投げかけてくるのだから、最初から銃殺するつもりなのだ。
もちろんサザンはサザンで構わない。ただ、the band apartが好きだった。
音楽をやっている以上、何者かでありたい、という感情はあるが、表現に対して嘘をつきたくなかった。
僕にとって音楽性に限界を持たないバンアパこそが『表現』の象徴そのものだった。そんなことを議論するのも馬鹿らしかった。
二日酔いで軌む頭が痛くなり、口を開くのも億劫になったのでもう黙ることにした。
ドラマーの徹也とベーシストのシンイチロウが、マネージャーと何かを話しているが、その声は他人事のように耳をすり抜けて内容まで聞き取れなかった。
徹也とシンイチロウと上京したのは三年前だ。
何事も試験というものは、受かるまで受けてみるものである。僕たちのバンドは今年、有名 ロックフェス主催のコンテストに優勝した。
グランプリに輝いた途端にマネージメント事務所からスカウトが来て、とんとん拍子で所属することになった。
少々のお金が入り、利便性の高い私鉄沿線に住めるようにもなった。
二日酔いの悪心、吐き気の原因、記憶を遡ると、昨夜から憂畿極まりなかったことが思い出される。昨日はゴールデン街で潰れるほど飲んでいたのだった。
2.よくノルマで叱られます
「『俺の選ぶ狂人ランキングベストテン』の情勢が急変してもうてんねん!」
コップ酒を木のカウンターに叩きつけた。乾いた音が鳴り、酒が小さく波を作る。
「偏ったランキングですなぁ」
その日、初めて会った男が隣でうふうふと笑っていた。黒いフレームのメガネに七三分けが乗っかり、手足はひょろりと細長い。
「あのな、ランキングっていうのはな、票数だけがすべてとちゃうねん。量より質や」
「なるほど。ちなみに『俺の選ぶ狂人ランキングベストテン』の情勢が変わったって、どう変わったのですか?小生にも分かるように教えてください」
「足りへん数字を挙げつらってくる人間がおるやろ?」
「いますねえ。小生もですねえ。いつも獲得成績のことで叱られています」
「あいつらは足りてないもん追っかけとんのが、ー生懸命な姿勢やと履き違えてんねん。アホやから。でもそんな人間が一定数おる。こいつらがイカレてんねん!」
投げつけるように言うと、半分ほどになった酒を一気に煽った。
「なるほど。理解しましたよ。小生の職場も同じなのでしょうか?よくノルマで叱られますからねぇ」
「知らんがな」
日本酒を自分で注ぎ足し、話を続ける。
「それらを全部破壊でけへんもんか、そこに属してる自分も含めて、気色悪いもん、丸ごと粉微塵にでけへんか、そんな気持ちになることないか?小生くん」
「怒りをバルーンのごとく膨らませてますなぁ。すぐに冷静になってしまう小生からしたら、羨ましくもありますよ」
小生くんはメガネを中指で上げて、うふっと薄笑いを浮かべていた。僕はそれを見て舌打ちした。
3.GLAYを育てたらしい自称音楽関係者
新宿歌舞伎町にある小屋同然の店、『ロベリ』には非合法、日陰者と呼ばれる人間がよく出入りしていた。
一階は普段チャージ料二千円のバー営業をしていて、店内は鼻がつかえるほど狭い。一人通れば埋まってしまうほどの階段を昇ると、畳が三畳半敷かれていた。
同性愛者である店のオーナーにやたらと気に入られたのもあって、僕はここを週三回ほど寝ぐらにしていた。
タダで酒を飲ませてくれて、現実の位相とは微妙にずれている空間は居心地が良かった。
歌舞伎町という海は水質が特殊なのか、この街でしか泳げない人種が所狭しと充満していた。
ホームレス、胡散臭い経営者もどき、フリーター紛いのミュージシャン、漫画家志望のニート、意識だけ高いベンチャー野郎、GLAYを育てたらしい自称音楽関係者、取り分のために『独立』したインディーズ風俗嬢、籍だけ置いている幽霊大学生、何かしらの悪徳業者、裏DVDブローカー、ヤク中、アル中、カルト狂い。
彼らは世間をしくじってはいたし、「あいつが失綜した」「あの子が自殺した」という話も日常茶飯事だった。
だけどそんな彼らと言葉を交わす時、「この人もあしたにはいなくなってしまうかもしれないな」という緊張感があった。それは共に過ごす時間を希少で有難いものにした。
4.正しい社員と書いて正社員
酔いで狭くなった視界のおかげで店が広く見えた。
「狂人の頂点はやな、正社員や」
ギリギリの呂律が宙を舞った。
「そりゃめちゃくちゃでしょうよ。小生はゴリゴリの詐欺やってるけど、小生のほうがマトモってことですか?」
「その気色悪い一人称も含めてまだマトモや。人を腸しても殺しはしてへんやろ?音楽業界の正社員はホンマにエグイぞ、小生くん」
「そもそも音楽業界の正社員って、正社員なのですか?雇用の定義が分かりかねるのですが」
「知るかい。本人らがそう言ってるからな。偉そうに」
怒気を含んで続けた。
「責任もリスクも負わへん。後は猟奇的断定を繰り返すだけや。『普通』って書いてる看板で、属性の違う人間をおもくそ殴れる暴力性がある。完全に壊れてるやろ?」
「小生には正社員のキャリアがないので分かりかねますが、正社員とは恐ろしい生き物なのですね」
「当たり前やろ。ホンマの悪はな、狂信的なやつとか、おかしいやつから生まれるんちゃうねん。自分は普通に生きてる、レールに乗っかってると思い込んでいる一般的なやつから出てくんねん!」
カウンターの裏に軽く膝蹴りを入れた。
「つまりナチスのアドルフ・アイヒマンと一緒ということですか?権威に命令を下された彼は流れ作業のように、罪悪感なく大量虐殺をしたものです」
「まぁ、そんなしゃらくさい話でもないけどな……あんましな、小難しいこと言うな、小生」
知らない外国人の名前を出されて声が小さくなった。
「これでも小生は小生なりに大志を抱いていますからねぇ。日々、勉強しております」
小生くんは背筋をぴんと正して前を向いた。
「夢多き詐欺師か……」
ため息が漏れた。
「夢あっての人生ですよ!それにしても、正社員がそこまでお嫌いなんですねぇ」
「最高に嫌いや。自分が正しいって思ってるからな。正しい社員、正義の社員と書くだけある」
人差し指で空気に漢字を書いた。
「それは意味が違いそうですが……でも、正義は小生も苦手です」
小生くんはハイボールを喉に流し込んだ。
「社会不適合者なんて呼ばれてる人間のほうが、まだ確かな想像力を持ってんねん」
「それなら小生にも分かる気がします。いやはや面白いですね」
「何も面白いことあるかい……」
「小生は面白いですよ?とてもいいお話でした」
「そらよかったな」
結果、明け方まで日本酒を八合ほど飲ってそのまま気絶してしまった。
目が覚めたら小生くんはいなくなっていた。
5.大ブレイクしてもないけど戻れない
「今年と同じ数字じゃ完全に赤字だからな!」
マネージャーは目を血走らせて、会議室を出て行った。
バタンと真っ白のドアが閉まって、観葉植物の葉がなびいた。ずっと一緒にやってきたバンドメンバーしか残っていない部屋が、東京最強の居心地の悪さを持つ空間と化した。最近、事務所に来るといつもこうだ。
「なぁ、川嶋………」
シンイチロウが半分金髪、半分黒の長髪をかき上げて沈黙を破った。
僕は「どうした?」とシンイチロウに聞いた。
「年末のフェス大丈夫なんかな?」
「大丈夫やろ。コンビニで俺らの曲流れてるやん」
僕は笑いながら言った。
シンイチロウから不安を伝染させられたくなかったし、ついでに元気付けてやりたかった。
「あ、俺昨日、曲流れるまで立ち読みし続けたわ」
徹也が笑って言った。
「ちゃんと流れたんか?」
聞き返す。
「流れたな。それよりお前の声がコンビニの中で聴こえんの変な感じしたわ」
「そんな場所で自分の声、聴きたないなぁ」
「いやいや、案外感動すんぞ」
徹也はただでさえはっきりした目鼻立ちをさらに大きくして笑った。
「まぁ、帰るか。ずっとおってもしゃあないし」
立ち上がると、二日酔いの痛みがまた襲ってきた。
マネージメント事務所に入る憧れはあったし、歌でお金を稼ぐのも、音楽漬けの毎日も夢だった。
だけど到達した現実は楽器を持っていない時間のほうが多く、その中には口には出さなくとも「別にうちのバンドじゃなくても」としか言えないものもあった。
大成功もしていないし、大ブレイクもしていない。だけど僕たちはもう、後戻りできないところまで来ていた。
6.東京のコンビ三店員は、人間としてマナーモードになっていることが多い
ビルを出ると、空は真っ暗だった。数ヶ月前の夏が思い出せなくなるほど黒く塗りつぶされていた。
夏フェスへの出演、地上波での紹介、CDの発売など初体験だらけの七月、八月は絵日記をつけたくなるぐらい楽しかった。
だけど、一寸先にまさかここまで神経のすり減る闇が待ち構えているとは思いもしなかった。
「俺、ちょっと歩いて帰るわ」
場の空気が悪くならないように声色に気をつけた。
「あ、そうか。お疲れ」
「またな」
なんだか徹也とシンイチロウと一緒にいたくなくて、別々に帰ることにした。
「三人合わせて負債」という犯罪者のようなうらぶれた気持ちから、離脱したかったのかもしれない。
数分ほど一人で歩き、コンビニでいつも通りグリーンラベルを買った。
「袋いりません」
「....」
東京のコンビ三店員は、人間としてマナーモードになっていることが多い。
マナーが良いのか悪いのか分からなくなる。
都会という場所で礼節というものを深く考えると、心を病む気がする。
赤坂から僕の自宅まで歩くと一時間以上かかるが、昔から辛くなると酒を飲みながら長距離を歩く習慣があったせいで慣れっこだった。
赤坂、乃木坂、代々木、甲州街道を通り、家を目指す。
アルコールの無敵感に引きずられたまま、足裏が疲弊していく経過が気持ちよかった。飲んでは買い、飲んでは買いを繰り返しながら歩いた。
代々木のコンビニに入ると本当に僕の作った歌が流れていた。初めて耳にした。
翌月に決まっている年越しロックフェスに照準を合わせたプロモーションらしい。トップアーティストが何十組も出るイベントだ。
出演決定時には興奮したが、喜びが不安へと変わっていくのにそう時間はかからなかった。
「まったくローソンで歌流して、客増えるか……?」
酒の陳列棚でロング缶を手にとって、独り吐き捨てた。
「袋いりません」
「...」
「やっぱ下さい」
「...」
ビニール袋に酒が入れられた。
7.店内曲がAKBに変わった
コンビニで自分の楽曲が流れている喜びは正直ゼロに等しかった。
最近は浮かれるどころか、喜ぶどころか、心を占めるのはステージに人が集まるかどうかの不安だけだった。
年末のイベントの舞台は五千人を収容できる大ステージだ。数百人しか集まらなかったら、じつに貧相な風景になる。集客の恐怖心がいったん芽生えると、酔いが冷める気がしてまた怖くなった。
袋を店内のゴミ箱に捨てて急いでプルタブを引いた。自動ドアが開くと同時に店内曲がAKBに変わった。