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「何かしらのプロ」と「分からないものに取り掛かる」が合わさると面白い

幼い頃、「ヤバくなるかもしれん」という嗅覚が犬並みだった。

僕が「今からヤバくなるかも」と思ったら大抵地震がきたし、ほぼ台風は空を荒らしたし、癇癪持ちのおばさん先生はブチギレて、机を手のひらでバンバンやった。「立て!立つんだジョー!」とリングを叩く丹下段平のようだった。

じつはこの話をすると、「あ、俺も」というひとが何人かいる。幼い頃、予知能力があったやつらは多いみたいだ。

小さな子どもというのは、危険察知センサーが高めに設定されているのだろうか。身を守るためとか、まだ細胞が原始的だのとか、進化論的、生物学的なエビデンスがありそうな話である。

この予知能力めいたものは別に超常的なものでもない。

僕もあなたも「なんかこの本面白そう」「なんかこのバンド良さそう」「なんかこの映画泣けそう」「なんかこの店美味そう」という予測がある。

「自分の経験」という過去のデータに基づいたものではあるが、立派な予知だ。経験からアプローチしたところで「この店が美味いかどうか」はまだ体験していない。未知の領域なのだ。食わねば分からない。

だけど、年齢を重ねるにつれ、分からないものに取り掛かるのが億劫になってくる。

過去のデータから「どうせこの店はまずそう」と思ってしまう。

『酸いも甘いも噛み分けた人生』とか言うが、残念ながらほぼ「酸い」だ。その酸味の総量のせいで、新しい店に飛び込むストレスが右肩上がりになってしまう。

でも、これはじつにもったいないことだ。

何がもったいないって、「他に習得していることがあるのに」という点だ。

何事も「十年ぐらい続けてりゃまぁプロ並みになる」と言われている。

僕の場合、音楽を十年ぐらい続けているし、みんな三十歳ぐらいになれば誰しも続けていることがある。十年は長いが、数年ぐらいなら全員あるのではないだろうか。

「俺はただのフリーターだし」というひとだってそうだ。

フリーターだって、十年続ければフリートレベルが上がっている。正社員を三年続けた人間よりも、フリーター十年選手のほうが『プロ』に近い。

プロというと大げさだけど「素人とは一線を画する」というだけでいい。

いろんなバイトができて、いろんな面接を経験していて、知らない職場に行く緊張感も少ない。これだけで、一線を画している。

こうなるにはそれなりに時間がいる。まぁ一年やそこらでは難しい。高校生でプロフリーターにはなれないし、プロ引きこもりにもなれない。

逆説的に考えると、三十歳付近ならばいれば「何かしらのプロ」になっている可能性がある。

この「何かしらのプロ」と「分からないものに取り掛かる」が合わさると面白い結果が出る。

一つの道だけだと到達できない、見れない風景を味わえる。

僕の場合、QOOLANDを解散してから事業を始めてみたが、それなりの結果が出た。上場するような綺麗さはないが、プライベートカンパニーとしては中小規模までいった。

正直、90%が運によるものだった。自分の実力のおかげ!とはとても言えないほど、つるんだ男たちのポテンシャルが凄まじかった。10%ぐらいは役にたったと思うが、その程度だ。

しかし、これは十年以上音楽をやっていなければ、不可能な10%だった。音楽を続けていなかったら絶対に無理だった。

なんかこういう本にも乗った。

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ソニーの社長とかと並んで自分が載っているのは笑えるものがある。ペラペラとふざけたことをしゃべっている。

もちろんこういう存在になりたかったわけでもないし、自分のことを経営者だと思ったこともない。「じゃあ嫌なんかい!?」と問われたらそうでもない。全然良い。

人間生活も長くなると、だんだんと何も目指さなくなってくる。

感覚的に流れるように生きていると抵抗なく、未知の風景にたどり着く。

そんなに長く生きていられる気はしないし、どうでもいいと言えば何もかもどうでもいい。

そんなこと言っていながら、百歳ぐらいまで生きてしまうかもしれない。「じゃあ嫌なんかい!?」と問われたらそうでもない。全然良い。とか言ってそうだ。

でも、「死んでも絵にならないところまで生きる」というのにはまだ抵抗がある。自殺しても美しくない年齢というものがある。それを越したくないとか思ってしまう。自覚はあるが、気持ち悪めのナルシストなのだろう。


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