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メイドカフェでバイトしてた話

四月の夜、僕はまた路上で歌っていた。求められてもいない歌を宙空にぶつけていた。

もう昼夜問わず暖かくなっていたので、ずいぶんやりやすくなっていた。

誰も知らない歌を歌って、知らない酔っ払いが少し聴いて、すぐに去っていく。そのルーティンは心地良かった。たまに声をかけてくれたり、お金をくれるひともいた。

ずいぶん熱中していたのだろう。気がつくと、誰も高架下を通らない時刻になっていた。

誰も聴いていない時間も嫌いではなかったのだが、その日は早めに終わることにした。

そう思った矢先だった。男がひとり高架下に入ってきた。

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業界人のようなメガネに逆立った髪は、なんとなく僕のイメージする「テレビのプロデューサーっぽさ」があった。
男は僕に和やかに話しかけてきた。

「兄ちゃん、いつもここでやってんな。いい感じなん?」

「えぇ、まぁ、いいですね」

何がいいのか分からないまま、僕は答えていた。

「なぁ、わし、そこでメイドカフェやってんねんけど、昼間来て歌わへんか?給料も出すで」

「メイドカフェですか。聞いたことはありますけど・・・でも、そもそも僕いります?」

「生演奏があるカフェにしたいねん。興味無いか?」

「いえ、そんなことないです。全然やります」

興味があるというのは嘘だったが、僕はふたつ返事でOKした。

プライドやこだわりなんかは完全に無かった。給料が貰えれば、なんでも良かったというのが本音だった。

「今ひまか?店がどんなんか見に行こうや。こんな時間やったら店、誰もおらんから」

僕は男の後に着いていくことにした。歓楽街の方面に僕たちは歩いていった。

相変わらず、ネオンがビカビカと光って、ひとが多かった。道のスミで倒れているひとや、手相占い師に客引き。ネオンさえ無くなれば、このひとたちも昼起きて夜寝る生活になるのだろうか。

そんなことを考えながら、歩いていたらすぐに店に着いた。

店は喫茶店の地下に無理やり作ったような狭い施設だった。
コンビニのような電灯の明るさとファンシーなつくりの店内に、誰もいないのは少し気味が悪かった。

「昼間はここでメイドさんがワイワイやってるんすね」

「そうそう、みんなアイドル志望の娘ばっかりやから、そっちの手伝いもしながらここで働いてもろてんねん」

男はそれらを統括するオーナーのようだった。「アイドルについて」をやたらと楽しそうに喋った。

このとき、僕はなんとも思わなかったが、もしあのとき、あの肌の表面の油のような、ほんのわずかな粘着性を感じ取れたら、何かが違ったのかもしれない。僕は次の日から働くことになった。

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初出勤の日。朝から台風の翌日ぐらいの快晴だった。

カフェに行くと、メイドさんが看板を一生懸命拭いていた。太陽光がバケツの水に反射して、宝石みたいだった。

「おはようございます」

「あ、今日から歌うひとやろ!? よろしくね!」

陰気な僕と対照的に、「ユキナ」という名札をつけた彼女は、キラキラした笑顔で看板を磨いていた。電灯もついていない看板は、これでもかというぐらいピカピカだった。

「凄いピカピカですね」

「せやろ?触ってみる?音すんで!」

言われるがままに手のひらで触ってみると、本当にキュッキュッと洗い立ての皿のような音がした。驚いた。

「これは凄い」

「看板がムチャクチャ綺麗なほうがええやろ! 掃除ってメイドっぽいし!」

「たしかに、こんな綺麗な看板見たことないかもしれません」

本心からそう思った。

オーナーに少し説明を受けて、仕事が始まった。

普通のバイトと比べると、自由な仕事だった。お客さんとメイドさんのジャンケンの歌を歌ったり、みんなが知っている歌を歌ったり、伴奏をする係だった。

お客さんを楽しませるのはメイドさんの役目だから、僕はそれをサポートすればいい。

しかし、メイドカフェというものを初めて肌で知ったが、カルチャーショックの連続だった。

オプションというやつがあって、メイドさんとジャンケンをするのに千円、同席して会話をすると二千円かかるのだ。
ツイスターとかいう身体が触れ合うゲームをするのに至っては、五千円もかかる。

(狂ってんな・・・)と自分の心のなかから声がしたが、すぐに聞こえないフリをした。こういう世界もある、と思い込むようにした。

それぞれの愛する世界があって、それぞれが何かの中毒者だ。夢に溺れようが、金銭に溺れようが、ランニングに溺れようが、擬似メイドに溺れようが、本人が幸せならそれで構わないはずだ。

僕はその日、二時間ほど働いて五千円を貰った。ものすごくありがたい収入だった。

ただ、「この女の子たちとツイスター、一回分か」と思うと、価値があるのか無いのかわからなくなった。

しばらくすると、慣れてきた。

僕は看板磨きや掃除なんかの仕事も手伝うようになった。
これまで働くも何も続かなかったので、まともにバイトができたのは、初めてだった。労働というやつは正直、楽しかった。

お客さんたちはいわゆる「アキバ系」のひとたちだったが、意外にも明るくて気さくな連中で、すぐに仲良くなった。オタクは暗くて閉鎖的だというのは、僕の偏見だった。

メイドさんたちは、僕が「食うのに困っている」と言ったら、いろいろなものを作ってくれたし、とても優しくしてくれた(オムライスにハートや相合い傘を描かれるのはカンベンしてほしかったが)。

店にいるひとたちは、毛色の違う僕を受け入れてくれた。アルコールも要らない彼らはとても健全な人間に見えた。それに、居心地のいい空間だった。

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初日に看板を磨いていた「ユキナさん」は指名ランクNo.1のメイドさんだった。

年がふたつ上の彼女は、僕のことを弟のようにかわいがってくれた。僕も遠慮なくユキナさんには、甘えていた。

小遣いをくれるときもあったし、家に食事を作りに来てくれることもあった。調子に乗って、なんだかんだいろんなものを買って貰っていた。

オーナーも言っていたが、メイドさんたちは、それぞれが歌手やアイドルのような活動をしていた。その合間にアルバイトとして、メイドカフェに勤めている。

メイドカフェはバイト先でもあると同時に、芸能事務所の機能を持っていた。そしてユキナさんも歌手を目指す女の子だった。

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僕がいつも通り演奏の仕事を終えて、バックヤードで帰り支度をしているときだった。バタンとドアを開けて、ユキナさんが入ってきた。

「あ、お疲れ様です」

「あれ?もうおかえり?」

「えぇ、もう今日はお客さんもおらんし・・・」

「ちょっとひまなったもんなぁ。大丈夫?ちゃんと食べてる?」

「食べてますし、なんか最近体重増えた気します」本当に増えた気がしていたのだ。

彼女は楽しそうに「増えた気って何よ!計ってないん?」と言った。

「俺、体重計持ってないですもん」

僕はユキナさんと話している時間が好きだった。美人なのに、気取っていなくて明るくて、開放的なひとだった。それでいて自然と相手を気遣える彼女が、お客さんの人気者なのは頷けた。

少し間を置いてから、ユキナさんが口を開いた。

「なぁ、前から聞きたかってんけど音楽やってるのつらくないん?」

聞かれて、僕は少し考えた。そんなこと考えたことも無かったからだ。

「いや・・・僕は好きなことなんで、あんまし」

「そっかぁ。やっぱ凄いなぁ!」

やけに明るい声色だった。

「でもいつも『楽しい楽しい!』みたいな感じでもないです。つらくはないけど、習慣というか、なんか改めて考えたことなかったです。ムズイっすね」

「ごめんな、変なこと言うて。お疲れ様!」

「いえ、お疲れ様でした。分からんけど、元気出して下さい」

「大丈夫。ありがとう」

ユキナさんはそう言って、いつも通りの笑顔で、手を振っていた。

店を出て、ちんたら歩きながら帰った。

(あんなふうになれたらいいなぁ・・・無理やけど)

誰に対しても分け隔てなく、明るいパワーを持っている彼女に、僕はずっと憧れていた。

ユキナさんのボーカルを聴いたことは無かったけど、「多くの人々に力を与えるシンガーって、こういうひとがなるのかも」と思っていた。それは歌唱力なんかよりも、もっと本質的なもののような気がした。

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次の日、ユキナさんは店を辞めていた。

オーナーに聞いたら、彼女はアイドルになることを諦めたそうだった。

話を聞いた僕は「あ、そうすか」となぜか平常心を装った。

メイドさんたちがユキナさんの話をしていても、気にしていないポーズをとっていた。正体の分からない、とにかく誰にも知られたくない感情で、胸がいっぱいだった。

僕は彼女の連絡先も知らなかったし、誰かに聞くこともできなかった。どうしようもない気持ちだった。

そしてユキナさんが辞めた後、すぐに店が摘発された。オーナーが売春の斡旋容疑で起訴されたことが原因だった。

あの店は裏でメイドさんたちの売春の温床になっていた。

僕はそのことをオーナーの逮捕で知った。

あの頃の大阪にはそういった形態の店が、別の街にもいくつもあったらしい。それらが一斉に摘発された。
東京で行われたばかりの歌舞伎町浄化作戦の影響もあったそうだ。

彼女たちの所属事務所のように、違法風俗とプロダクションが提携しているケースはビジネスにしやすいそうだ。だけど、そんなことは僕にはどうでも良かった。

僕のことをかわいがってくれていたユキナさんたちは、知らない男たちに買われていて、それを知らないまま僕はあの店で働いていた。

彼女たちを買っていた男たちを殺してやりたいと思ったが、僕にはそんな権利も無いし、何よりも筋違いの怒りに思えた。

たぶん、僕は自分が何も知らなかったことが、情けなくて嫌だったのだ。一人だけ子どもで、一人だけ何も知らずに小銭をもらって、喜んでいた情けなさに反吐が出た。

彼女たちはアイドルだったのか、メイドだったのか、それとも娼婦だったのか。

今でも分からない。でも現実の人間は白でも黒でもなく、無限のグラデーションからなる多面性で出来ている。

この世には成人も悪人も聖女も娼婦もいない。
子猫を助けた手で同僚をいじめぬき、募金した手で金をパクるのが人間だ。

僕はその店のことを一刻も早く忘れようとした。もう、何も思い出したくなかった。

だけど、あのバックヤードのユキナさんの「つらくないん?」という声が耳鳴りみたいに蘇る夜がある。

人間をそれなりに長くやってると、頭に、身体に刻みこまれてしまった声がある。消したくても、たぶん一生消えないタトゥーようなものだ。

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先日、久しぶりに店があった場所へ足を向けてみた。跡地は廃墟化していて、まだ残っている。借り手もつかないらしい。

看板はひどく汚れて、無残に割れていた。触ると手のひらが真っ黒になった。もう、なんの音もしなかった。


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