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バンドしてるなら、たまには「たった一人」で決めないと決定童貞になる

バンド活動をしていくなら、どこかで「たった一人で決定を下す経験」をしないとダサくなる。

バンドは3,4人。またはそれ以上の人数で行う組織活動だ。

原則、バンド内には上下関係が少ない。これは社会に出るとかなり珍しいことだ。

学生時代は『同級生』という平行関係がメインだが、大人になると上下関係が増える。僕もあなたも同い年よりも違う年齢と絡むことが多いだろう。

その点、バンドというやつは年齢の差はあれど、そこまで上とか下が存在しない。並列関係で築かれる稀有な組織体系なのだ。

では決定事項はどのような行程を経るのか。

・Aというリフにするか、それともBにするか
・ジャケットのデザイン
・ツアースケジュール
・対バンに誰を呼ぶか
・アルバムタイトル
・加入させたりクビにしたり
・どのライブハウスに出るか

このようなことを決めるとき、上下関係や命令系統があるほうがじつはラクだ。なぜなら並列化された集団は決定にいちいち政治が伴う。人間が3人以上集まれば政治が生まれる。

ではどのように決まるのか。

話し合いで多数決のバンドもいるだろうし、誰かがワンマンで決めているパターンもある。様々だ。
政治理念、各党によるので、メタリカや聖飢魔IIなどは殺し合いで決めている。

会議の果てにモメるグループもあるだろうし、逆に結束を高めるグループもあるだろう。

個人的にたまーに気を付けていることがある。

活動のどこかで、どこでもいいんだけど、「たった一人で決めてすべてのリスクを引き受ける」という経験をしとくほうがいいということだ。

自分が決めて、まわりに動いてもらう。
「面倒が起きたら俺がケツを持つからやらせてくれ!」と身近な並列関係の仲間たちをインスパイアするのだ。

この経験がない『決定童貞』は話すと分かってしまう。的を射た話をするべきタイミングなのに、何だかふわふわしていて、ふにゃふにゃしている。

たしかに決めるのは怖い。反対もされる。

「ドラマーに言われたから…」とか「ぼくは違うと思うけど他のバンドもそうしてるから…」という心の後ろ盾は魅力的だ。自分の失敗や敗北を緩和できるし、責任の所在は空の彼方に消し飛んでいく。

でも傷付かなかった分だけ、ちゃんとダサくなるのだ。

人間はリスクの引き受け先を他人にするか自分にするかで吐く言葉が変わる。問題解決に向かうのか自己弁護に向かうかだ。

ある程度の年齢で、キャリアもあるのに自己弁護ばかりしているとキツイ。

何かを表現する人間が「自分のせいじゃない」と言葉を吐いても良いことがない。
「そうなんだ。それがどうしたの」という感想しか出てこない。

ホントいつもじゃなくていいし、たまにでいいんだけど、僕たちは自分で決めて、自分で引き受けて、自分で苦しんで、自分で喜ばないといけない。そうしないと心から笑えないし泣けないと思う。

これを『不確定要素への慣れ』と呼んでいるが、これは耐性がちゃんとつく。危険なことは怖いけれど、不確定なことに勇気を持てない人間は、それはそれで危険に陥る。

僕が如実に感じたのは27になる年だった。寿命の予定の年齢だ。

クラウドファンディングを最初やると決めたのだが当時は平成27年。その言葉すら浸透していないし、認識しているファンもいなかった。
ていうかそもそもこちら側のスタッフやメンバーも知らないし、乗り気じゃなかった。

これをインスパイアしなきゃいけない。不安はあったが頭をぶん回した。2日で80万ぐらい集まったときに急にみんなのテンションが上がったのを覚えている。

最終的に300万になり、できたアルバムがチャートインして、さらに先に進むことができた経験は今の僕の価値観に深く根を宿している。

人間はたった一度の決定で変わったりする。

それからは「一人で決めてケツを持つ」が手グセになってきたし、不確定なことは不確定なだけで恐れることじゃないのだと把握できるようになった。

CDを一万枚配ったり、会社を起こしたり、本を出して映画にしたり、起こした会社を辞めてもう一回作ったり。

いろいろあったが「みんなの話し合い」から始まったことなんてゼロだ。

「自分で決めて、自分で引き受ける!俺が、俺が持ち上げるのだ!」のほうが不思議と周囲が応援してくれる。オススメである。


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