キレる母親、閉じ込められる子ども
子どもにガチギレてる母親が目に付く。
「劇団・親」をやるなら親をおもいきり演じないとキツイ。
劇場にいるお客さま、「子ども」のために、いつも最高のコンディションを作る必要がある。
もちろんキレる気持ちも分かる。子どもが思いどおりに動かないから、ブチギレているのだろう。
だけど自分の子どもとはいえ、他の生命体だ。「思いどおりにいかなくてブチギレる」というのはどうなのだろうか。
「自分のことはコントロールできるが、他人はコントロールできない」という真理だけは、家族だろうがなんだろうが当てはまるはずだ。
「シツケよ!」と言われそうだが、怒りで相手を操作しようとするのは教育者なら余計にマズくないだろうか。
あんまりにキレている母親とかを見ると、「国の施設に預けるか、そうしないまでも民間のサービスを利用するかすればいいのになぁ」と思ってしまう。
「そんなのできるわけないでしょ!」と言われそうだが本当にそうだろうか。それは「子育ては親がやるべき」という常識があるからだと思う。
常識に縛られてつらい思いをするなら、取っ払って楽しくやる方がいい。
たとえばイマはフリーランスのシッターや、タイムチケットなんかのインフラもある。SNSで直接つながることだってできる。相場もむかしより全然安い。
「他人がうちの子と過ごすとか虐待されるかも!怖い!」という声もありそうだが、どうだろう。そもそもキレ倒している母親という時点で、虐待に片足突っ込んでいるようなものだ。
それにイマは「どんな人間か会ってみて判断する」ということもできる。リスクは何にだってついてくるが、努力次第でギリギリまで下げられる時代だ。
旧態依然でもいいものはいいが、アップデートした方が便利なものある。
こういうことを書くと、のっぺらぼうに冷血漢呼ばわりされる。でも僕は「親が外に協力を仰ぐこと」が子の人格形成に、悪影響を与えるとは思えないのだ。
子育てをアウトソーシングすると「育児放棄だ!」と吠えるひともいそうだが、何がダメかを伝えられる論拠は乏しいはずだ。
そして元・子どもとして言わせてもらえば、子どものニーズは「いつもニコニコして心に余裕のある両親と過ごす」だ。
僕は幼年期から少年期の記憶がわりと鮮明な人間なのだけど、未だに思い出すのは「親の機嫌がいいと自分も嬉しかったこと」だ。
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