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やりすぎコメンテート

「ムカつきの抑え方を教えて欲しいです」

というものがLINE@(https://lin.ee/ZFo55R9)に届いた。

A.ムカつきの瞬発力が無い人は瞬発力を求めるらしいです。自分もわりとそっちです。

「その場でキレていたら伝説になったのに」という打ち上げがいくつかあります。

ちなみに科学的に怒りは六秒で消えるそうなので、二、三日経ってもムカついている場合、自分も望んでいることが考えられます。

さて、ムカつきの話ですね。
無理に耐えると身体に悪いので、「ムカつく」という感情を大事にする方向がいいかもしれません。

美容師の言う「クセを活かす」みたいで我ながらうまいこと言ってるだけな気はしますが実際、「ムカつきを活かす」はそこまで悪くないのです。

怒りをくれよ。とグリムスパンキーも歌っています。あなたの今持っているものが、喉から手が出るほど欲しい人もいるということです。

「今が案外全盛期かも」と思うクセはつけとくとラクです。

僕は「最高に幸せだったのは今でもないし、たぶんこの先でもない気がする」と諦めつつやってます、今んとこ。

何かしら送られたら大体返信をこれぐらいの分量で返す。

ジャガーいいですね!!

A.ジャガーはいいですね。いいけど何なのでしょうね、あの存在感と立ち位置は。

僕は「比べにくい」というのがジャガーの特徴かと考えます。

どうやら競争社会の中で生きる我々も学ぶところがありそうです。

「キング・オブ・エレキギター」の座が中々レスポールから動かないのは何故でしょう。

というより「キング」ということは首位なわけです。その下位ランクにテレキャスター、ストラトキャスター、リッケンバッカーなんかがズラっと名を連ねているのでしょうね。

ではジャガーはどうなのか。上記レギュラーメンバーと比べても諸々見劣りします。

チューニングもアレだし、なんか音も立ち上がりにくい。そしてプレイストレスに関しては弾きづらい。まさしくギター界のヘレンケラー。ガッツリ三重苦ギターです。

でもジャガーはやはり人気です。ジャズマスター、ジャズスタングも親族と捉えると、この一族は相当数の出荷量でしょう。

思うになんだかんだジャガーは「別の土俵」で勝負しているんじゃないかと思います。

これはガイコツマイクや白塗りのメイク、イチローのバットを立てるルーティン、リアムの後ろ手と同じような土俵です。

アイコンのようなものです。

悪口を言うつもりはないですが、「メインになれるかというとけっこうしんどい。でも自分の食っていく道を見つけたやつ」というような立ち位置です。

「他のギターと競わない」

それがジャガー一族の唯一無二性なのではないでしょうか。


などという返信をした。わりに優しい。

バンドの公式LINE@とは思えないのだが「相談、質問、お題にたいして長文で答える」というコンテンツがクローズドで出来てきた。

これはコメントでも、サポートのお礼メッセージでも同様である。わりとたくさん返す。

文量が多いからなんだ、という考えもあるが、やはり多いと複雑なことは説明しやすい。

世の中はシンプルなものを好むし、複雑な事柄をシンプルにすると称賛されがちだ。でもそもそも「複雑なものは複雑」という真理から逃げてもおかしくなる。

約分できるものばかりならラクだが、そうもいかない。生きていくと「複雑なこと」の方が増えていく。意識しないとシンプルな生き方はできない。

僕自身、どんどん複雑になっていると感じている。
自分には責任感や使命感みたいなものが無いと思っていたが、やたら膨らんでくる。年齢のせいにはしたくないが、確実に体積が増えている。

実際に重たくなっているかどうかではなく、気持ちの問題が大きい。

この気持ちの膨張を僕は「情けない」と捉えている。世間の風に当てられ、同調の圧力に負けた結果である。

他の同世代からしたら、無責任かつ無頼漢でやれている方かもしれない。そう言われることもあるが、本人のことは本人が一番分かっている。確実に怯え、震え、負けているのだ。

やけに背中に重たいものが乗っかっている錯覚に陥る。本当は何も乗っていないし、そもそも持てないように自分自身を構成してきたはずだ。

組み立てる方向や材質を間違っていくと、やはり人間は死ぬ。これは「衰退」だからだ。

僕たちはいつかは死ぬ。DNAにプログラミングされている「成長→衰退→死」によるシステムだ。

「種」を存続させるためには、種がたくさんの個体数に分かれて生殖しては死ぬ、というやり方が一番合理的なのだろう。

デカいのがちょっといるよりは、ちっちゃいのが沢山いる方が良い。

たとえば新型コロナウイルス蔓延や大災害、隕石墜落、大量殺戮、戦争のようなものがあっても「人間」が絶滅する確率が低くなる。

一つの個体が無際限に生きるよりは、短期間で死んで、新個体を残していく方がより良いのだ。

環境が大きく変わっても、それなら死につつ、変化しつつ、いずれは適応していけるからだ。

たとえば僕の体は一個ずつの細胞の集合でできている。この細胞は三カ月サイクルで新陳代謝している。

細胞は死ぬが、細胞の死のおかげで僕は生きてる。

これと同じことで、僕とあなたは別々の個体だが、ともに「人間」を構成している細胞の一つなのである。

この「人間」がいつも新しく元気でいるためには、我々「個」の死と新しい「個」の出現が必要になる。

死ぬというのはそういうことで、つまり「小さな僕=細胞」は死んでも「大きな僕=人間」は生きていることになる。

前田敦子がいなくなっても大島優子がいなくなっても、AKBは続くし、亜種である坂道グループも生きていけるという話だ。

リスクの分散なのだ。

しかし個の細胞はちっぽけなものだが、その一生の中でそれなりに笑ったり泣いたり悩んだりする。

たまに「かけがえのない夜」も訪れる。「嗚呼、『個』やってて良かったー」と思える日もあるのだ。「生きてて良かった」なんて溢れるときもある。

それがあした来るか十年後か、それかもう終わってしまっていて、二度と来ないかは分からない。それでも個なりに生きるしかないのである。

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