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未来のまち-自由と秩序/現実と仮想-

未来のまちについて、私の理想が多々含まれた構想を描きたいと思います。

未来のまちに求めること

未来のまちに求めること、それは、自由秩序です。
自由とは、時間的・物理的・社会的自由のことを考えています。この三つの自由についてそれぞれ具体的に説明したいと思います。

時間的自由
これは、まちに住む人に対して時間的な縛りをなくすことを想定しています。例えば、多くの地域でゴミは決まった曜日・時間に回収されますが、この縛りをなくすことが時間的自由です。このまちでは、人は時間に追われることはありません。

物理的自由
これは、まちに住む人に対して行動の縛りを一切なくすことを想定しています。例えば、このまちに住む人は、どこにでもアクセスすることが可能ですし、どこにいても良いです。つまり、違う国にいようが、地球の裏側にいようがこのまちに住んでいるという属性に変わりはありません。

社会的自由
これは、個人が社会から要求もしくは期待されることに対して容易に無視することができるというものです。哲学的に正当性のある法律以外からの抑圧は一切なくなります。このまちに住む人は、他人の目を気にして自分に制限をかけるということは一切なくなるでしょう。

未来のまちには、これら三つの要素で成り立つ自由を求めます。
次に秩序についてお話しします。

秩序
秩序とは、道徳規範やモラルが徹底的に守られた状態のことを指します。そして、この道徳規範やモラルは科学的に実証研究によって証明された部分だけを集めたものと個人で判断するものの二つが含まれています。過去から現在に至って、道徳規範やモラルの正解はごく一部に限られています。しかし、未来のまちでは社会のあり方に対して、科学的に証明された道徳規範やモラルが大いなる役割を果たします。つまり、唯一解を持つ秩序が増えることを意味しています。

未来のまちは、秩序という完全なる土台と極限の自由で成り立つようになると信じています。

自由と秩序を獲得するために

未来のまちに求めることを話してきましたが、ここではそれを実現するために必要なことについて述べたいと思います。
「自由と秩序を獲得するためには?」これに関して、現実世界と仮想世界という観点から見ていきます。

現実世界
現実世界で必要なこと、それは記録と罰、人ではない何かによる支配だと考えています。
記録と罰の役割は、秩序の担保になります。完全なる秩序があれば、自由はついてきます。そして、人ではない何かによる支配を必要だと思う理由は、人は同じではないという真実がある一方で、対して差異はないという考え方からきています。生物学的に言えば、人は造られたものではなく進化してきました。それに加えて、人は平等になるようには進化していません。しかし、この平等ではない範囲は、生物全体から見ると限りなくゼロに近い小さい数字になります。従って、人は平等ではないけども、対して違いもないと考えています。そのような人々を管理する立場は人であっては務まらないのではないかと思っています。人の管理、ここでは支配と表していますが、それは人ではない何かによるものが好ましいと考えています。

仮想世界
仮想世界は、時間的・物理的自由を獲得するために必須です。エストニアのようなE-Residencyやメタバースを用いた空間作り、VR/ARの可能性などを参考にして仮想空間にもまちがあるという状態、そして仮想空間にもう一つまちがあるということではないことは明白にしておきたいです。現実のまちと仮想空間のまちは別のものでなく、リンクしています。それによって、完全なる時間的・物理的自由を獲得することができます。

終わりに

以上、「未来のまちに求めること」、「それを達成するには」ということを考えてきました。この構想の中心にあるものは人です。そして、根源にあるものは、人の幸福だと考えています。人の幸福とは何かという難しい問題がありますが、私が持つ今の答えは完全なる自由です。そして、それを支える秩序の存在もあります。ここには、他者との関わりという要素が抜け落ちており、偏った考え方になってしまったかもしれませんが、全ての人が他者との関わりを望んでいるのかというのには疑問を感じているので自由に焦点を当てました。

最後まで、読んでいただきありがとうございます。
コメントお待ちしております。

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