見出し画像

独り言の恐怖

皆さんこんにちは。能力再生相談所、内匠です。

今日から出勤日。久しぶりの会社は疲れますね。おまけに連休前に“昼寝の後の読書”の習慣がつきかけていたのに、今日は本を持っていくのを忘れるという失態…。明日は自宅での勤務なので今日の昼休み分は明日挽回しよう。

それはさておき、先日テニススクールで、いつもとは違う曜日のクラスに振り替えチケットを使って行ってきたのですがその時のことについてちょっと書きたいと思います。

いつもと違うメンバーなので、どんなプレーするのかなと様子をうかがいながらやるのですが、その中でおひとり、自分がミスするたびに「あーだめだ」、「バックハンドやっぱりだめ」とか、一つ一つつぶやいている方がいらっしゃいました。

私も人のことはあまり言えないのですが、こうして他人がぶつぶつと自分がミスするたびに自虐の独り言をしているのを見るとはっきりわかることがあります。それは、一言で言うなら自虐のセリフを言うことで、自らのプレーの質を下げている、ということです。目に見えてわかります。

このような自虐的な独り言にはおおよそ次のような効果があります。

①集中力を削ぐ…自らのプレーに苛立ってしまい、結果として目の前のボールではなく、過去の自分のミス、あるいは一瞬先の自分の失敗のイメージを追います。

②照れ隠しによるプレーの質のさらなる低下…自分で「出来が悪い」と言うことで、無意識のうちに自分の体の動きを却って悪くしてしまう。

自分がプレーしているときにはそれが自覚できない時があるのですが、ほかの人がずっとこんな感じで一人語をと言っているのを見ると本当によくわかりました。

そして、『インナーテニス』という本にもこういう状況を描写したものがありますのでちょっとご紹介します。

テニスコートには、無言の会話が入り乱れている。“もっと早くラケットを引いて”とか“手首をこねないで”・・・時には“この間抜け野郎”などという悪態まで飛び出す。会話といっても、相手プレーヤーと話しているわけではない。あなたの中の「誰か」が、もう一人の「誰か」をののしったり叱ったりしているのだ。

ちょうどこんな感じです。そして、そういう状態から抜け出すにはどうしたらいいか、著者のW.T.ガルウェイは次のように述べています。

静かな心を作り出し、よりよく知覚する絶対的な手段は、『もの事を判断しないこと』…中略…大事なのは「コート外のどこに、どんな軌道で飛んで行ったか」という事実を見つめることだ。この時に「今のはよかった」「悪かった」あるいは「自分はうまい」「下手だ」と判断しないことが肝心…中略…「よい」「悪い」という判断は感情であり、事実ではない…中略…判断とは即ちこれも雑念の一種に他ならない

いかがでしょうか。

そしてこのような独り言はまあ、100歩譲って趣味のスポーツでの出来事ならまあ下手の横好きということで笑っていられることなのかもしれないですが、残念なことにこのように自虐的な独り言をいう癖のある方は、私はそうだから言うのですが恐らく、日常的にこういう状態にあると言っていいのではないかと思うのです。

そして起きた事実…本来は良い悪いのない出来事に対して自分で勝手に善悪の判断をし…特にネガティブ思考の方は大体悪いと判断し…いつの間にか出来事が悪い=自分はダメ人間だから、という図式にしてしまいがちなのです。

そしてさらに悪いことに、人間がコンフォートゾーンとして感じるのはいいとか悪いとか関係なく、現状維持。となると、どんどんと自分の向上する力を抑える方向にしかいかない、ということになってしまうのです。

そう考えるとたかが独り言といっても実に恐ろしい力を持っています。一度自分に独り言を言う癖がないか、そしてもしある方はどんな独り言を言っているか、確認してみてはいかがでしょうか。

ということで本日も雑文、ご一読ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?