ラーメン屋だけはなりたくなかったのにラーメン屋になってしまった話

大学卒業後、一般企業に入社して約4年半ほど営業の仕事をして、そこからラーメン屋の修行を3年してラーメン事業を開業するに至りました。かなり周囲の人から自身の決断やキャリアに関して色々と言われることが多いので、開業に際して改めて自分自身をまとめてみました。

そもそもどういう思考で生きてきたのか

大学に入ったのも、優良企業に入社しようと就職活動をしてきたのも根底には「親みたいになりたくない」という気持ちがありました。親は今の私と同じくラーメン屋を経営しています。休みはあまりなく朝早くから夜遅くまで長時間労働、稼ぎもそこまではなかったので、自営業でリスクを背負って商売をすることの大変さを幼少期から実感してきたのもあり、安定思考で生きてきました。

新卒で入社した会社は野村證券でゴリゴリの営業会社。お金をたくさん稼いでやると社会人になる前は自分に謎に自信を持っていましたが、その自信は入社前まで。周りの同期はとても優秀な人達ばかりで自分の能力の低さと世界の広さを痛感。配属してからADHDの症状もあり仕事ではミスばかり。次第に自信のモチベーションも下がり、メンタル的にも沈んでしまい、心機一転転職するに至りました。

転職した会社はリクルート。野村證券同様ゴリゴリの営業会社。ここでも周りの凄い人に圧倒される日々で常に劣等感を持ちながら生きてきました。そんな厳しい中でも、常に自分を応援してくれた上司や同僚のおかげで何とか3年半勤める事ができました。

社会人生活を通じてお世話になった方には感謝してますし、迷惑をおかけした方には大変申し訳なく思ってます。自信が成長することでお返しできたらと思ってます。

リクルートの社風や人が好きで、そこでの日々の中で、「自分も色々なことにチャレンジして何かを残せる人間になりたい」そう思うようになりました。

なぜ、ラーメン屋になろうと思ったのか

リクルートを退職した後、色々と甘い話に乗ってしまい個人で営業の代理店事業をしておりました。大金には到底及ばないですが、社会人時代稼げなかったお金が楽して稼げてしまったことで、毎日夕方から深夜まで夜遊びして昼まで寝てるといった堕落した生活を送っておりました。3ヶ月くらい経って今の自分のままじゃ駄目だと思い、今ある仕事を全部断ち切って旅人と言う名のニートになって日本全国旅してきました。元々ラーメンの食べ歩きが趣味だったので、その旅の中で全国色々なラーメン屋にも行きました。感動するようなラーメンの味に出会ったり、県外から行列ができるようなお店に出会ったりしてラーメン屋やるのもいいかもしれないと思うようになりました。

長くなりましたが、私がラーメン屋をやりたいと思った理由は2つあります。

1つ目は、人の日常を少し豊かにできる。そんな商売に魅力を感じたからです。

起業するなら、「世の中を不便解消すること」、「革新的なものを生み出すこと」、「世の中を少し幸せにするもの」のどれかだと思っており、最初の2つは自分には全くイメージできませんでしたが、3つ目はラーメン屋とリンクしてイメージが湧いてきました。

2つ目は、ありきたりな理由ですが人が好きだったので今まで出会った人や縁が切れたりした人ともラーメン屋をしてたらまた繋がれたりできるのかな。と思ったのも魅力です。業種によってはクライアントの属性が制限されますが、ラーメン屋は好みは分かれますが広域には全人類がクライアントなので(笑)

仕事を選ぶ際、仕事をする際、その他人生で大きな決断をする際、何故それをやるのかをどれだけ考えるかで人の一生は大きく変わると思ってます。
まさかラーメン屋やるとは、、、親にも言われます、、、大学にも行かせてやったのにと、、、

今後に関して

自分がいつまでラーメン屋をやるのか、その他にも事業をやるのかはあまり考えていませんが、45歳までに3つの段階を考えております。

①新潟の実家で間借り営業、実家の商売を長く継続させるための仕組み作り、朝ラー文化を広めたい
②東京並びに各地での出店
③海外での出店

現在30歳。今年の5月に開業して1年、遅くても2年以内には東京出店予定です。

まずはNiigata Round
新潟の皆様何卒よろしくお願いします。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

自家製ラーメン五十八 
6:30〜9:30

八幡ラーメン
11:30〜14:00/17:00〜21:00

定休日火曜日、月一月曜日休み有
〒956-0835 新潟県新潟市秋葉区朝日112-11
0250-23-2790




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