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聲の形【#マンガ感想文】(毎日更新55日目)

マンガ聲の形(こえのかたち)、全7巻読みました。

これまた深い話で、言語化が容易ではない。

ですが、少なくとも5回は泣きました(;_;)

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「出典:エキサイトニュース(https://www.excite.co.jp/news/article/KodanshaComic_20160917_c01/)」

『聲の形』はいまから6年くらい前のマンガになりまして、障害のある方や学校での「いじめ」というきわどい題材をとりあつかっています。

そのせいかはわかりませんが、とても話題になった作品です。

京都アニメーション制作で映画にもなってるんですね。

しかし、とても賛否両論ある作品のようです。

実際に聴覚に障害をもっている方たちからは、批判が多いように感じます。

いったい誰目線で描いているのか?

障害をもつ人たちの実際の苦労をわかっていない

といったように。

その方たちの言ってることわかるような気がします。

しかし、とくに映画は2時間くらいという制限時間の関係もあり、作者がほんとうに伝えたいことを表現できていないのではないかと思われます。

だからできれば、マンガを先に読んでほしいと思います。

ぼくは少なくとも、このマンガを読んでて苦しくて、かなしくて、せつなくて泣きました。

間違いなく心は動かされました。

とくに1巻のいじめの場面はとても苦しかった。

この作品は聴覚障害をあつかっていて、それがメインテーマのように思われがちだが、実際は違うんだと思います。

ぼくが思うのは、ディスコミュニケーション(相互不理解や対人コミュニケーション不全)あつかったものであり、それを表現するために聴覚障害をもった方と聴者の、いわば相互不理解に陥りやすいシチュエーションを用意することでわかりやすくしているのだと。

ぼく自身、友達に聴覚障害をもった方がおり、その人と手話でコミュニケーションをとりたくて手話教室に通ったこともある。

その友人と接していて感じたのは、その人が言いたいことがぼくに伝わっていないことが多くて悲しい思いをさせてしまっているという気持ちだ。

ぼくも一生懸命理解しようとするのだが、どうしても汲み取れていない気がして申し訳ない、ごめんねって気持ちがよくしたものだ。

聲の形はそういった「相互不理解」が何不自由なく目も耳も聞こえるぼくらの間でも、ふつうに起こっていることを考えさせてくれるのです。

お互いに理解しあえないという悲しさについて語っているのだと。

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(この手話は、「またね」っていう仕草だよ、なんかステキだな)

ぼくらは、しっかり相手のことを見ているだろうか?

しっかり相手の話を聴いているだろうか?

心を開いて、ちゃんと自分の本心を伝えているだろうか?

相手のことを大切にしたいのなら、言いにくいことも
嫌われたとしても言わなきゃいけない。

真正面から向き合うことから逃げているんじゃないだろうか。

人と理解しあうことはこんなに大変なことで、勇気がいることで、
そしてドラマチックなことなんだと感動しました。

このマンガを読んで、伝えること、受け止めること
人と触れ合う毎日の瞬間をもっと大事にしたい

そんなことを思いました。

『聲の形』
また今度読み返して、もっと深いところまで理解して
言葉にできたらいいなあ
もっと「聲」として、伝えられたらいいなあ

それでは、今日はこのへんで

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(またね)

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