「選手が考える」って何!?

強化練習会最終日が終わりました。

疲れた(切実)

私はコーチでもないので、見学していた練習のサポートをしていたのですが、それでも疲れました。
3日間やり切った選手は、本当によく頑張ったと思います。

さて、この3日間を通して考えていたことをまとめていきます。

選手が考えて練習するには

「考えさせている」の錯覚

初日の全体練習の前に、コーチが「今日の練習は何のための練習かわかる?」と選手に問いかけていました。

私自身は、選手に練習を示すとき、何のためにそれをするのか、つまり目的を必ず示して、考えさせる指導を徹底してきました。
従って、私の選手は少なくとも練習の目的や意図を察することができるようになっているはずなのです。

しかし、問われた瞬間、「あっ多分この子たち答えられない」と直感的に思いました

それは、私が選手に考えさせる指導をしていた「つもり」だったからです。

私が出す練習メニューに関して、それぞれの目的や意図というのは私が持っています。
これまで行ってきた目的や意図を考えさせる(と私が思っていた)指導というのは、言い方を変えれば、指導者の持つ答えに選手を誘導する指導だったのです。

いわば、教科書の絶対的な解答を、いかにも考えさせた体で誘導し、その場で理想的な解答ができたら「良い指導をした」と思い込んでしまう残念な教員と同じです。


「考えさせる」指導とは

では、どのような指導をすれば選手は目的や意図を考えて練習できるのでしょう。

私自身が考える一つの答えは、「自身の頭で考えた仮説が身体感覚により証明される経験をさせること」です。

中距離のポイント練習でよく行われる600m+200mという練習を例にとりましょう。
この練習の目的でよく語られるのは「600mでレースの序盤、200mでレースのラスト切り替え身に付ける」というものです。

これ自体はよくわかります。
実際に走ってみると600mでたまった乳酸をリカバリーで少し軽減したうえで200mに臨むので、ラストの200mは、連続で行うよりも、体がよく動く感覚が得られるからです。

しかし、こういった目的を絶対的な答えとして指導者が選手に伝え、選手自身も盲目的にそれを信じ込んでいて、本当の意味で「考えた」練習になるんでしょうか

確かにラスト200mがよく動くので、身体経験として「そうかも」と思えるとは思います。
しかし、それは選手自身が考えた仮説ではないので、ただ理念の表面をなぞっているだけにすぎないと私には思えます。

もし仮に、選手が「800mのラストに切り替えられるようになりたい」と思っているとします。
指導者として「どうすればラストを切り替えられる練習ができるだろう」と問うと、「切り替えられないのは乳酸がたまっているからだ」という原因が特定されるはずです。
その後、「乳酸がレースほどはたまらない状態で練習してみてはどうか」と問えば、「ラストスパートをかけたい距離で分割してリカバリーを入れる」という方法が見えてきます。

こういった対話を通して、選手自身が立てた仮説とその証明実験を実行することで、よりいっそうその結果が「自分事」として感じられ、その結果として「考えた練習の方が効果的だ」と感じられるのではないでしょうか。

仮説と実験をさせてみよう!

つまりは「仮説を立てて」「実際に実験してみて」「出てきた結果を分析する」、このプロセスで指導していくことが大切なのではないでしょうか。
その決定打として身体感覚という人間にとって最も根源的な感覚に揺さぶりをかけ、「腑に落ちる」経験をさせることが効果的なのでしょう。

この「仮説ー実験」を徹底していくことで、少しずつ「考えられる」選手が育成されるのでは、と私自身が「仮説」を得ることができました。

今後、この仮説を証明できるよう、たくさん対話して「実験」していきたいと思います。



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