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人生の目標

大学入学共通テスト

受験シーズンですね。この季節になると学生の頃が懐かしく思う人もいるのではないでしょうか。あまり勉強をしなかった僕にはちょっと苦い思い出ですね。と言ってもそんなに覚えてはいないのですが(笑)。

そうそう、2021年から名前が変わりましたね。前はセンター試験という名前だったのが、大学入学共通テストと呼ぶみたいですね。どう変わったのかはあまりよくわかりませんが、どう変わろうともちゃんと勉強していれば、ちゃんと点数を取れるはずなのですが、でも、今では受験対策なるものがあり、僕たちの頃もそうですが、当日を想定した模試なんかもあって、まさにそのテストでいい点数を取るためのテクニカルな対策もしていたような気がします。もちろん、このテストでいい点取らなければ、大学に入ることが難しくなってしまうのですが、はてさて、じゃあ、高校で3年間してきた勉強というものはいったい何だったのでしょうね。一発の試験で決まってしまう。よく考えると恐ろしいテストですよね。特にいい大学に入ることがいい人生と考える人にとっては、まさに失敗できないテスト。そのテストでは何をテストされているのでしょうか。学力? それとも運? 不思議なものです。

僕たちは当たり前にそういうテストを受けて、大学に入る。今のルールとしてはすごく当たり前ですね。でも、海外の大学なんかをみるとまた違ったルールもあります。そもそも大学が始まる時期も違いますね。日本の当たり前は世界の当たり前ではないことは知っている人も多いのではないでしょうか。少し話が飛びましたが、いつから大学に入って就職するというのが当たり前になったのでしょうか。まだそんなに長い歴史があるわけではないでしょう。でも、僕たちはいつの間にかそれが当たり前になってしまっていることに気がつきます(いや、気がつかないからこんなことになってしまっている?)。多くの人が当たり前に大学に行く、でも、大学で本気で学問を学んでいる人は少ない。それもいつの間にか当たり前になってしまっていて、そして、もう大学にいるうちから就職活動をするのも当たり前になっている。この流れはいつできたのでしょうか。よく考えるととても不思議です。本来学問を学ぶ場所だった大学が、いい企業に就職するための通過点になっている。さて、我々は何しに大学へ行っているのでしょうか。大学というものは人生にとってどういうものなのでしょうか。

あなたにとっての人生の目的は何でしょうか? いきなりなんだ? と思うかもしれませんが、でも、それがあるからあなたは大学を受験したのではないでしょうか? 大学に入る目的があったのではないでしょうか。だから、高校でも勉強していたのではないでしょうか? そんなことはわからない、だってみんながそうしていたから。そう答える人もいるかもしれません。というか、そもそも、大半の大人が人生の目的なんて答えられないのではないでしょうか。みんな目的を見失って右往左往している。そして、子どもにはそうなっては欲しくないと勝手に自分の価値観を押し付けてしまう…まあ、その話は今回はしませんが、明確に人生の目的を持って、受験した人はどれくらいいるのでしょうか。それを考えながらテストを受けた人はどれくらいいるのでしょうか。

人生の目的は簡単です。幸せになることです。それはみんな共通していることです。もちろん、何に幸せを感じるかは一人一人違うので、そこに答えがあるわけではありません。でも、目的は間違いなく幸せになることです。当たり前のことですよね。でも、幸せになるためになぜ大学へ入るのでしょうか。まあ、いい大学に入れば、いい企業に入れて、いい企業は、給料がいい、将来性がある…だから、幸せになれる。と思っている人なんてほとんどいないですよね。もうそれがただの幻想であるということは、ほとんどの人がわかっているのではないでしょうか。でも、それ以外の道が見つからないから、とりあえずはその大きな流れに従っている。そんなところでしょうか。だって、その先に本当に幸せはありますか? お金があれば幸せ? 一生働ける企業に入ることが幸せ? それが幸せなんかじゃないことくらいみんなわかってるんです。だから、みんな困っているのです。

そう考えるとこの大学入学共通テストというのは、何なのでしょうね。これに成功する。失敗する。受験に成功する。失敗する。そこにどんな意味があるのでしょうか。でも、目的がない人には、意味がないですよね。当たり前の話です。どっちでもいいのです。だって、成功したから、失敗したからと言ってあなたの幸せとは関係ないのですから。まあ、きっとこれまで頑張ってきたことを思うとそんな風には考えられないかもしれませんが、たかがテストです。そんなものに自分の人生の幸不幸を左右されてたまるもんですか。

それくらいの気持ちで挑めば少しはリラックスしてテストを受けることができるのではないでしょうか。テストの合否による一瞬の幸せなんかよりも、人生はまだまだ続くのですから、死ぬまで幸せでい続けることが大切なんだと思います。受験頑張ってくださいね。みんなが合格しますように(それがないのが残念です。じゃあ、テレビではいつも誰のことを応援しているのでしょうか)。

理想と現実

僕たちにはできないとわかっていながらも、やらなけらばならないことがある。それはもうそうせざるを得ない。だからそうする。もう、そうとしか言えないようなことがある。それが人間の根本の部分にあるから、それはとても厄介なことだ。それに気がついた人たちは、わかっているけど、やめられない。そうすることしかできないのだから。この大いなる矛盾に気がついても、それでも、やり続ける人だけが、何かを成し遂げられるのかもしれない。それはその人が生きているうちに結実しなくても、何千年後、何万年後にもしかしたら、それは起こりうるのかもしれないのだから。その可能性、理想を追い求めることがまた生きる意味になってしまうのだから、本当に人間の性というのは不思議なものである。

『オン! 埴谷雄高との形而上対話』という本の中で、埴谷雄高氏は、池田晶子氏との対談の中で、

「やらなければならない。志してもできないことはわかっている。でも、志さないよりは志した方がいいのであってね」

と語っている。この言葉はどうとらえるべきだろうか。「志してもできないとわかっている。でも、志さないよりは志した方がいい」。わかっているのならやめればいいのにと思うかもしれないが、やらなければならないのだ。何のために? 世のため、人のために。そして、自分のために。世の中にはそういうことがある。それは、そもそも、死ぬことがわかっているのになぜ生きるのか? という問いに近い。あなたはなぜ生きるのか? 死ぬとわかっているのに。人生の意味なんてみつかるかわからない。みつかったとしても、結局は人は死ぬ。それでも、生きている。生きるとはどういうことか?

人間はその大いなる矛盾を抱えながら生きている。宇宙からしてみたら、そんなのは矛盾のうちにも入らないのかもしれないが、僕たち人間はその矛盾に悩む。そして、矛盾を矛盾であることを受け入れながらも、僕たちは生きていく。理想と現実。何が理想で何が現実なのだろうか。まさに生きて死ぬことの方がまるで捉えどころのない理想ではないだろうか。考えてもわからないことに向かっているその僕たちは理想を生きているのか、それとも現実を生きているのか。

なぜ生きているのか? なぜ死んでしまうのか? そんなことを問うても答えは出てこない。そんな中で生きていくこと。もう理想と現実があべこべになりながらも生きていくこと。埴谷氏が言う「志してもできないことはわかっている。でも、志さないよりは志した方がいいのであってね」という言葉にはとても愛を感じるのだ。無私の精神を感じるのだ。理想と現実を生きるためには僕たちも彼のように生きるしかないのではないだろうか。

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