見出し画像

震災から11年経過した福島の姿を撮る(後編)

とんでもなく寒い。
雨は止んだものの、凍てつく風で頬が千切れそうだ。

請戸小学校を後にし、歩いていた。

堤防の上を進む。
遥か先に、かすかに第一原発の姿が見える。
左手に砂浜、右手には3.11の後で何かの植物が植えられた囲いがずっと続いている。

砂浜に降りるとあちこちに流木が散乱し、海は少し波立っていた。
相変わらず周りに人間が見当たらない。

しばらく歩くと、どうやら原発に近づける限界まで到達したみたいだ。
限界まで行けてここまでとは…
思ったより全然近づけない。

こればかりは仕方ないので、ひとまず写真に収めておく。

2021年12月25日の福島第一原発
限界まで近づいてこの距離。樹の向こうにある煙突から煙が出ているのが見える。


ここから双葉町へ向かう事にした。

津波被害に遭い廃屋となった民家の横を通る
門柱が樹にもたれかかっている。
廃屋の周りには植物が茂り、日光を浴びて気持ちよさそうに光っている。
歩くにつれ、曇り空から晴れ間が出てきて
降り注ぐ太陽が、鏡となった池の水面に写りきらきらゆらゆらと輝いている。
水中にはメダカが群れをなして泳いでいる。

人間の絶望と動植物の穏やかで健やかな日常が綯い交ぜになった景色の中を歩いていると、人間がいなくなった世界を見ているような気になって
不謹慎かもしれないが、それは美しかった。

一方、だだ広い平野となった場所に目を向けると
メガソーラーが何台も設置され、道路は大きな作業用トラックだけが何台も通っていく。
地方には異様な光景だ。

家屋や文化施設ではなく、電力供給
この電力の大半は東京に送られている。

これは果たして「復興」なんだろうか?

ウヲーンと突如として大きなサイレンが、辺り一面に轟いた。

間もなく16時になります。作業中の方は作業を終え、スクリーニング場へ向かって下さい。繰り返します…」

緊急事態の避難指示のアナウンスの様で、何だか怖くなってくる。
この場所ではこんなサイレンが毎日鳴っているのか。
急き立てられるように歩みを早める。

次第に薄暗闇に包まれゆく中、双葉町に着いた。

第一原発から最も近い距離にある町 双葉
帰宅困難地域に指定されている。

ようやく土地の除染が終わり、少し前に駅前周辺の侵入禁止のバリケードが解除されたようだ。
しかし2022年3月現在も住民が1人も戻っていない。

そこにはゴーストタウンと化した光景が広がっていた。

11年  何だったんだ
時間の経過がまるで無駄のような気にもなる。
ここには生命を感じない。。。

「原発で事故が起こると、どうなるのか。」

スクリーンや紙面上の「面」で見て知っていたはずの情報と、実際に行って感じる光景や空気感はあまりにも違っていた。
酷い有り様だ。
映画の中の、荒廃した町のワンシーンの様だとしか頭で変換出来ない自分が悲しい。
分からないものは理解して安心したいという脳の働きを人間は持っているのかもしれないが、酷い光景を理解しようとしても無駄だと思い知る。

『3.11を忘れない』

東京でそんなメッセージをよく目にする。
風化させないよう伝えていくのは勿論とても大事だ。
しかし、実際は忘れる以前に私は3.11の姿を知らなかった。

戻らないものは、二度と戻らない。
戻そうと思っていない、何かの気配も感じる。

現在ロシアとウクライナで戦争が起き、原発に危険が迫っているのがとても恐ろしい。
事故で歴史的大惨事が起きたチェルノブイリも近い。
地獄を再び見たいなんて、人間の愚かさに驚愕し恐怖を感じる。

その先に待つのは
人もなくなり、街もなくなり、文化もなくなり、国もなくなる
現実。
そうなったらもう戻れない。

日本に住む私たちにとっても他人事でいられなくなってきてしまった。

JR双葉駅前には復興に向け
震災以前そこにあったファストフード店の店主が、ドーナツの穴から笑顔でこちらを覗く姿等が描かれたARTが点在している。

帳が降りて行き、暗闇に包まれていくゴーストタウン化した双葉町で最後に見たのは、スケボーで颯爽と駆ける青年だった。
なにかわからないが光に思えた。

この記事が参加している募集

ありがとうございます☀️ サポートして下さるあなたのお陰で、高宮は記事を書いていられます。 感謝を込めて、よりニッチに面白い記事を書き続けます!