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隙間の

アスファルトの割れ目や石垣など、あちこちの隙間から芽生え、花開いている植物。
一見、窮屈で居心地の悪い場所に思えるが、こうした隙間は実は植物たちの楽園だという。
狭いけれども安全で、敵も競争相手もいない。

いろいろあっていかにも、大変そう、しんどそうに見える人も、実は全く、大変でも、しんどくもないのかもしれないなあ…

うちのマンションの高いブロック塀と隣接するマンションの間には、30センチ足らずの隙間がある。
猫ならば楽々通れるが、人間が通ろうとすれば、蟹歩きをしなければならないだろう。
道路側の入口から覗くと、そこはほとんど闇に閉ざされている。

夕方、その入口の前を通ると、白い手が伸びて、おいでおいでをしている。
塀すり合うも多生の縁だから、呼ばれた以上は応えたい。

そばに寄ると手が引っ込んで、ひょっこり頭が出てきた。
真っ白なスキンヘッドだ。

「すみません、ひとつお伺いしたいことがあるんです。
ここは本当に住み心地がいいんですけどね、そろそろ飽きて来ちまってね、引っ越したいと思ってるんですよ。
で、ここみたいな、こんな感じの所を、ほかにご存じじゃありませんかねえ。
自分で探そうにも、世間が狭いもんですから、どうにもならないんですよ」

思い当たる場所がいくつかあった。

「わかりました。
いくつか心当たりがあるので、明日までに簡単な地図を用意しときますよ」

「持つべきものはお隣さんですなあ。
じゃあ、その時にはここで声を掛けてください」

「わかりました…あっ、でも、なんて呼べばいいんですか?
お名前とかありますか?」

「『お~い』で構いませんよ。
『お~い』『お~い』と、何度か呼んでいただければ、すぐ出て来ますから」

近辺のグーグルマップをプリントし、めぼしい隙間を3か所ほどチェックしたものを携えて、翌日の昼過ぎにそこへ赴く。
「お~い」という最初のひと声で、すぐに白いスキンヘッドが現れる。
白い手が伸びて、地図を受け取る。

「いやあ、ありがとうございます。
ここから出て、目の前で丁重にお礼したいのは山々なんですが、なんせ当方、素っ裸ですから。
隙間暮らしをしていると、何を着ていても擦り切れちまうし、特に何か着る必要もありませんからね。
でも、いっちょ前に羞恥心はあります。
事情ご斟酌の上、感謝の気持ちだけは受け止めてください」

「いいんですよ、人それぞれ事情がありますからね」

次の日、試しに「お~い」と呼んでみたが、予期した通り応答は無かった。
無駄だとは思ったが、体を横にして隙間に入ってみる。
薄暗い中を奥の奥まで辿り、往復してみたが、やはり誰にも逢わなかった。

ただ、ひとつだけ、予期しなかった事が起こった。
どういうわけだろう、なんだかそこから、出たくないような気になっていたのだ。

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