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またひとつ、季節においていかれる

まだまだ寒い時期に、春は来る。
桜が咲いたかと思ったら、もう散り始めている。
花粉症も気がついたら落ち着いていて、テレビには潮干狩りの様子が映し出される。
空の青さもいつの間にか夏の色に変わっている。

いつも僕は季節に取り残されてしまう。
3年前の夏はとても暑かった気がする。なぜかその頃くらいから季節に取り残されるようになってしまった。
寒くなったからコートを着るし、木々は枯れているのがわかる。でも、僕の中の感覚はまだ夏の暑い日々を感じている。

今年もそうだった。都心では雪は積もらなかった。降ってくる雪を手に乗せて、結晶を見てみた。
間違いなく雪だ。
でも、結局今年の冬が何か分からないまま、桜を眺めることになってしまった。

今日はとても暑い。日差しは明らかに夏だった。
散歩をしているときに、ふと桜を見たら、花びらの影はなく青々と輝いていた。
夏がすぐそこまで来ている。いや、もう来てしまっていたのかもしれない。やっぱり僕にはその足音を聞くことができなかった。

街を歩いている人を見ると、服装がバラバラだ。
半袖を着ている人もいれば、まだ春の服装の人もいる。
みんな本当に季節が変わることを理解しているのだろうか。
今日は暑くて、半年ぶりに外で汗を流していた。
なんとなく、汗をかいている自分に慣れなくて、気持ちが悪かった。汗のかき方を少し忘れてしまっていたのかもしれない。
自転車に乗れなくなることはないけど、久しぶりに乗ると少しふらついてしまう。それと同じ感じで、僕の体は汗のかきかたを忘れてしまっている。
体はあんまり信用できない。

春夏秋冬で着る服を変える。僕はそういうものが苦手だ。
いつも同じ服を着てしまう。頭では季節が変わっていないのに、体だけ季節を感じるという感覚のズレに耐えることができない。
そうはいっても、暑いものは暑いし、寒いものは寒い。
だから夏は決まってシャツにジャケットを着て、冬はその上にコートを着る。そうやって決めてしまった。
いろいろ考えた結果、これが自分には合っていた。

体と頭のどちらが自分なのかは分からないけど、これで安心できるのだから、多分僕は頭の中にいるんだと思う。
この服装のおかげで春夏秋冬、いつでも感じるものが同じだ。
そうやって、季節の移り変わりから身を守っている。夏しかない国や冬しかない国に行ったらどうなってしまうのだろうか。
少しはこの苦労も緩和されるのだろうか。

誰かを楽にして、自分も楽になれる文章。いつか誰かが呼んでくれるその日のために、書き続けています。 サポートするのは簡単なことではありませんが、共感していただけましたら幸いです。