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9月中頃までの話

全くなにもできなかった。珍しく仕事が忙しくなって、ここ2週間くらい全く記憶がない。
なにをしていたのか全く記憶がないのが本当に怖い。

色々だめだった要因はあるけれど、多分1番は睡眠だろう。
睡眠が乱れると良くないとは分かっていたけど、一度乱すともう戻れなくなってしまった。
連休に入って体調は戻ってきたけど、睡眠のリズムは全然取り戻せない。
ここ2日は8時に起きていたけど、正直寝起きはフラフラな感じだった。
あとは食事もある。外食をするしか選択肢がなかったから、心がざわついてしまった。
選択できないというのは、心的な負担が高い。

書いていてハッと気付く。重要なのは選択だ。選択しなかったものは記憶に残らないし、負担も大きい。
誰かの人生を生きてきてしまっていたのかもしれない。

ずっと何かを生み出す気分になんかなれなかった。心臓が変にリズムを刻んで、ちっとも落ち着かなかった。
坂口さんが、心臓を休めるって言っていたけど、まさにその通りだ。
休息とは何かを問われている。寝てゆっくりすることじゃない。選択肢を持って、自分が選択して、生きることなのかもしれない。
寝るのが休息だと思って、仕事→睡眠→仕事→睡眠と繰り返していた。とりあえず寝てさえいれば大丈夫だと。
そこは自分の日課とうまく噛み合わない部分だった。睡眠が第一優先で、仕事を割り込ませると、もうそれ以外の時間を選択することができなくなる。これは、睡眠を優先させているようで、逆に選択を潰すことになっていた。
逃れられない仕事を大きく配置してしまったのが間違いだった。

多分正解は、活動を選び直すことだった。
立ち止まって、選択をすることだった。流れてしまうとなかなか止めることができない。
今はやっと止まることができた。絵も文章も書きたくないけど、立ち止まって、選んでみればいいだけだ。
多分このあとは少し大丈夫だと思う。

とりあえず今は喫茶店で1人になりたくて、日記を書きたくて書いて、音楽が聴きたくなって聴いて、noteを書きたくなったから書いている。

それでいい。

誰かを楽にして、自分も楽になれる文章。いつか誰かが呼んでくれるその日のために、書き続けています。 サポートするのは簡単なことではありませんが、共感していただけましたら幸いです。