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12月30日(住む場所と「自分の部屋」への思い)

移動がしたくなってきた。何だか毎日の生活が変わらない気がしてきている。
久々に山梨に行った。この前キャンプで行った時は、「綺麗だし、静かだし、東京から1時間ちょっとの距離だし、悪くない」と思っていた。
今度は街中を眺めてみる。チェーン店がかなり進出している。ファミリーレストランなんかは大体揃っているのではないだろうか。
都心でよくみる「生食パン」のお店もあった。どんどんそういった東京的なものが進出してきている。スピードはゆっくりだけれど、東京化が進んでいるように思えた。

賃貸を調べてみると、便利なところ、特に高速道路から近いところや駅から近いところは、部屋は広いけど家賃としては東京とあまり変わらないような気がした。
車がないと生活できない分、結局今の収入に左右されてしまうんだろうなと思った。

次はどこに住もうか。そろそろ今の場所にきて1年が見えてきた。電車を生活の中心に据えるとしたら、結局今の生活とあまり変わらなくなってしまう。前住んでいたところは家の目の前にドトールがあって、毎日のように言っていた。
今は駅前まで行かないとドトールのような喫茶店がない。こうなると、同じ東京なのに不便さが気になってしまう。
自分の部屋、つまり、プライベート空間、仕事や自分の趣味だけの部屋があればそこは変わるのだろうか。
次はそういう部屋の選び方をしてみてもいいかもしれない。

部屋ごとに空気や色みたいな属性があると思う。
トイレで寝るのは落ち着かないし、風呂で料理はできない。
リビングでの過ごし方と寝室での過ごし方は違ってくる。なんだか、部屋に合わせて生活をしているような気がしてくる。
空間は空間でしかないのに、居心地が悪かったりする。
やっぱり、自分の時間を過ごすための部屋は必要かもしれない。慣れればリビングでも自分と向き合うことはできるだろうか。

毎日の生活が落ち着かないのは何故だろうか。
なんだかそわそわして、毎日居心地が悪い。

東京から少し離れてみようか。リモートワークのような働き方が、デフォルトになってくれれば、住む場所の縛りからは少し解放される。
そうなったらあとは自分がどこに住みたいか次第だ。自分さえ納得いけば、場所はどこでもいい。『自分さえ納得』というのが一番難しかったりもするのだけれど。

「自分の部屋」というものに対して、ひどく執着があるのかもしれない。自分の過去を振り返ると、そんな気がしてくる。
ひとりになりたい。

誰かを楽にして、自分も楽になれる文章。いつか誰かが呼んでくれるその日のために、書き続けています。 サポートするのは簡単なことではありませんが、共感していただけましたら幸いです。