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9月25日(アウトプットと自分)

一度崩した体調を戻すのはここまで大変なのかと、改めて思う。
流石に寝るときの腰の痛みが酷すぎて、整形外科に行く。
レントゲンを見たところ異常はないとのことだ。僕も画像をみたけど、素人なりに問題なさそうなことがわかった。むしろ「骨が綺麗ですね」とまで言われてしまう。
冷蔵庫を開けて、ぎっくり腰になるとは考えられないから、おそらく疲労が蓄積したせいだろうとのこと。
確かに疲労は溜まっていたし、納得はできる。納得はできるけど、疲労という良く分からないもののせいで、冷蔵庫をあけて腰を痛めたんじゃ、割りに合わない。
それ以外にもたくさんのものを失ったというのに。
まぁ、自分で選んだことなので、全く不快な気分はないんだけど。
そうじゃない立場の人だったら到底耐えられないだろう。だから、自分で選択するということは大切なんだ。

インプット系から徐々にリハビリを始める。
不調の後に頑張ろうとすると、思ったよりもできなくて、さらに不調になってしまう。アウトプットは欠かさずに、ハードルはどんどん下げていく。
とにかくリズムを持つことが大切だ。
どこかで自分の時間を作って、1人で黙々と何かに向かうのは重要だ。
気を抜くとすぐ他人に合わせてしまう。集団生活が身につきすぎてしまっている。人間はみんなバラバラで、集団の動きを円滑にするために、ボツ人間が求められる。それはそれで正しいことなんだけど、無理をして集団に合わせているということを忘れてはいけない。
みんな無理をしているんだ。どれくらい無理をするかということに各個人のグラデーションが存在しているだけで、別に何も悪いことじゃない。

アウトプットに話を戻す。
とにかく何かを生み出すことにハードルを上げすぎる節がある。
完璧主義の自分がいる。けれど何も完璧にできたことなんかない。そんなものなのに、見えない完璧を求めて彷徨うどころか、家に閉じこもっている。
拒食症的だなと思う。幻想を求めて、1人苦しんでいる。
そういう状況から脱出するための手段が、僕にとっては日記であり、noteであり、パステル画であり、音楽だった。
とにかくアウトプットを行う。それも自分が好きなことのアウトプットを行う。誰にも強制されずに、やりたいという気持ちだけを持ってやる。そういうことが少しできるようになったのは最近のことで、調子を崩してしまうと途端に元の堂々巡りの状態に戻ってしまう。
これだから、僕は難しい。人間をやっていくのはとても大変なことだ。

誰かを楽にして、自分も楽になれる文章。いつか誰かが呼んでくれるその日のために、書き続けています。 サポートするのは簡単なことではありませんが、共感していただけましたら幸いです。