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勝手にゴーストライター2人目 - 『鬼滅の刃』について鈴木涼美さんっぽく書いてみる

勝手にゴーストライター2回目です。

前置きは短く、ということで早速ですが今回は鈴木涼美さんをマネしてみたいと思います。

鈴木涼美さん(なぜかフルネームで呼んでしまう)にした理由は大きく2つあって、一つは前回のけんすうさん(↓)と全く違うタイプという点で、一応コレは文章力アップという名目でやっているので様々な視点から…的なヤツです。ですが一番の理由は涼美さんが好きだから。文体、知性、ユーモア、狡さ、キャラ、そして家族が用意したビニールプール温泉に喜んで入っちゃうとこ、、最高です。

で、作品ですが『鬼滅の刃』について書きます。もう説明不要ですね。

本当は涼美さんのバックグラウンドや思考までトレースしたかったのですが、高校も大学も共学だったのに男子校のようなアオハルを過ごし、歌舞伎町と言えば伝説のヤクザ桐生一馬になって遊び尽くした程度の人間には到底その深淵は見えぬ、ということで、文体と作品紹介がメインになってます。(その時点で鈴木涼美流とは言えないのですが。。)

ともあれお手柔らかに。

---------ココから---------

カビ臭くて羨ましいヒーローたち~鬼滅の刃

「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」べく付けられた新元号も、目に見えない刺客とそこから生まれる疑心暗鬼の前には無力なことが分かった2020年の全然ゴールデンじゃない春、一年前に時代が変わって以来立て続けに起こる出来事はおかざき真里の『阿・吽』で描かれる平城京から長岡京、平安京へと移り行く時代を思わせるけど、ヴァイオリンを弾く住職に心安らぐことはあっても空海や最澄のような救いの導き手は未だ現れそうもない。

フィクションを盛り上げるために誇張として描かれていたはずの無能なトップと機能しない国際機関、身勝手な民衆や迫害されるヒーローが現実問題として炙り出され、むしろフィクションの方がマシなんじゃないかと思えることも多いけど、地球にとって害だったのはウイルスじゃなくて人間でした、みたいなオチはもうわかりきった結論だし、害獣として生まれた以上はやっぱりその生を楽しみたいし、「予言の自己実現」と聞いても人はトイレットペーパーを買ってしまうし、そんな有難い教訓は『寄生獣』の中だけにして欲しい。

人命と経済、理論と感情が天秤にかけられテレビでもSNSでも果ては家庭内でも議論や罵りあいが絶えず起こっていて、実際にはたぶんそれは社会の天秤じゃなく自然との綱引きなのだけど、未知の脅威と戦う時に個人の命と種の存続のどちらかを選ぶ瞬間が来るという予感も確かにあったりする。

アニメ化をきっかけに一般的なヒット作から社会現象と言える存在にまでなった『鬼滅の刃』は、新刊発売日にはマスク販売のごとく[お一人様一冊まで]の注意書きが貼られ、ついにはアムラー世代に恋しさとせつなさと心強さとBOY MEETS GIRLな青い記憶を呼び起こすたまごっちにまでなってしまった。『キングダム』や『進撃の巨人』に続くキラーコンテンツとなった本作は鬼が人を喰い跋扈する大正の世でそれを滅ぼそうとする剣士たちの生き様と死に様を描いていおり、個の命より種としての勝利が疑いなく優先されている世界で、主人公の新米剣士は妹を守るためという思いっきり個人の命とシスコンが原動力になっているのがおもしろい。

彼らの生きる世界で、死はあまりに身近だ。鬼は基本的に不老不死で「日輪刀」という特殊な刀で首を切られるか太陽光にさらされない限り腕を切られようが頭をつぶされようが瞬く間に復活する上に、人間を食べれば食べるほど力が増していく。人間側も「鬼殺隊」という特殊組織を作って対抗しているが、最強とされる9人の「柱」と呼ばれる剣士たちでも鬼側の最高幹部6人には到底及ばない。それくらい鬼と人間の実力差は圧倒的である。

鬼の存在は一般人には噂程度しか知られておらず鬼殺隊は政府非公認の組織のため、剣士たちの活躍が『キングダム』の論功行賞のような煌びやかな舞台で称えられることは一生涯ない。表舞台に出てこない彼らは自らの命に対して清々しいほど無頓着で、弱くて浅はかな一般人を守るために一瞬の躊躇もなくその才能溢れる命を差し出す。それはある意味カビの生えた自己犠牲のヒーロー像なのだけど、頭の中で肥大化させた承認欲求をジャスティスと故意に誤読してSNSで投げつけあう泥試合を何年も続けている私たちからすれば、彼らの古臭い価値観はどこか懐かしくもあり羨ましくもある。

対照的なのがラスボスである鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)で、全ての鬼の親であり圧倒的な力を持ちながら、それに反して精神面はどうしようもなく臆病で滑稽な彼は、脆い身体と強い心を持つ剣士たちと見事なまでのコントラストをなしている。有象無象であるはずの人間の言葉にいちいち反応して感情を露わにし恐怖政治でしか部下を統治できない様子は昭和に置いてきたはずが令和でも懲りずに存在感を見せてきたオジサンたちを思わせるけど、態度と声の大きさだけで生きてきたデジタル弱者がネット会議では画面の隅にZOOMアウトされつつある一方、1000年続くモラトリアムを抜け切れない無惨様は簡単には草葉の陰に消えてくれそうにない。

その中で主人公である竈門炭治郎(かまどたんじろう)はどちらから見ても異質な存在で、元は人間である鬼にいちいち同情する少年漫画らしい優しさがありながら、かといって鬼を切ること自体には一切迷いがない。鬼を滅ぼす明確な意思がありながら鬼になった妹を守るために戦う矛盾を抱える炭治郎がそれに悩むことも悲壮になることもほとんどなく、その姿はやはり物語のなかで最も強く逞しくどうしようもなく主人公であり、あとおでこが異常に固い。ある意味最も現実離れしたキャラなのだけど、それは自分は優しくされたいけど他人に同情する余裕はなく、大義を果たす覚悟もなければ大それた決断もできず、自己愛と自己嫌悪と自己矛盾に陥ってばかりの私たちにとって理想の姿でもあると同時に自分の空虚さを思い知らされる非情な鏡でもあり、それを作画の素晴らしさと腐女子的目線でごまかしながら、私たちは両手の隙間から恐る恐る見つめている。

何十年も看板番組の真ん中に居座るご意見番や自称評論家より「おバカなギャルタレント」としてカテゴライズされた少女たちの方ががよっぽどまともな事を言っているテレビの中や鳥のさえずりを見てもわかるように、平安時代の如く押し寄せる困難に必要なのは地位でもお金でも取り巻きの数でもなく、炭治郎のように複雑さを抱えたまま意思と思考と行動の強さを持つ存在だと思うのだけど、78歳のハンコIT大臣なる奇跡のおじいちゃんが誕生する日本と、39歳で天才的なプログラマでトランスジェンダーで人格も出来上がっているという漫画の如きパーフェクトなデジタル担当大臣がしっかりと成果を出している隣国を比べるのは話が出来すぎていて、日本がとっくに主人公枠どころかメインキャストからも外れていた現実を改めて思い知らされるし、諦めの気持ちになるのも仕方ないという気もする。

思えば人の肩にぶつかることなく休日のスクランブル交差点を渡る日が来るなんて渋谷にいることがI’m proudだった人間には俄かに信じられないけど、物理的にはクローズドになる一方グロテスクな頭の中はますますオープンになり、世界中がコネクテッドしても全然共生できていない現状を考えれば、クレイジーと叫びながらただの交差点を熱心に撮る外国人を尻目にたまごっちと同世代の「club asia」に向かい、世界に誇る大都市でローカルに生きていたあの頃が懐かしいと思うのもまた、身体と立場だけ立派になったオジサン世代のモラトリアムだろうか。

ウイルスを殺せる日輪刀も無く最前線で戦うヒーローが罵倒すらされる現代のグローバルヘルは大正に描かれた地獄絵図よりよっぽど残酷だけど、人類のために命を投げ出せるような立派な人間ではなくとも、せめて薬局で店員さんに食ってかかかる無敵の無惨様にはならぬよう自分と周囲の個は大切にしたい。

それにしても、日本に止まらず世界中に自らの絵を描かせている我らがアマビエ様も、そろそろ承認欲求を満たすのは止めて本来の力を発揮してほしいと切に思う。

---------ココまで---------

なんというか、、、やっぱり男女のアレコレや生々しくグロテスクで愛すべきエピソードがないと雰囲気全然出ないですね。。ただこれはこれで自分がこれまで書いてきた文体と全く違うし、文章として結構好きな感じになったので(企画としては元も子もないけど)当初の狙いである文章力アップとしてはまあいいか…?いいか…??

ちなみに週刊少年ジャンプ本誌では無惨様との決着がついたと風の噂で聞きましたが、僕はコミックス派なので書いた内容もコミックスの範囲がベースです。あと、書き手はざっくりペルソナを設定してますが僕の住処は渋谷ではなく愛知のめちゃくちゃ田舎のショッピングモールでした。。

さてここで鈴木涼美さんについてもう少し。涼美さんは媒体や内容によって文体がかなり変わる(意図的に変えている)タイプですが、今回はマンガについて書いたので参考にしたのは幻冬舎プラスモードの涼美さん。幻冬者プラスの記事を読むには会員登録(無料)が必要ですが、どの記事からも圧倒的な鈴木涼美の匂いがするというか、時には半分くらいまで読まないと作品名が出てこなかったりするのですが、作品のテーマや特徴を捉えて自身や周囲の話、社会や時事に結び付けるの抜群にうまくて、僕のような圧倒的平凡な人生と怠惰な感性とミジンコのような記憶力と経験不足を誇る人間からすると羨望すら感じます。でも強烈なインパクトの小話なんてなくても些細な出来事を面白おかしく語れる術こそ鈴木涼美流でもありモノ書きでもあると思うので、今回は作品紹介と時事に集中するという逃げに走ってしまいましたがいつかは再チャレンジしたい。。

また、その文体に加えて文章からフェアネスと優しさを感じるところも好きな理由の一つ。色んなことを理解できて想像できる上で、良いとこ悪いとこダメなとこ含めて人間って面白いよね、みたいな空気感があります。これに関しては下のインタビュー記事が分かりやすいと思うのでこちらもぜひ。(個人的にはインタビュアーの視点が若干気になってしまったけど。。)


一応、これにて最初の目標である2日坊主は達成したので3人目にチャレンジするかは未定ですが、人が書いた文章をマジメに考えてマネようとするなんて普段まずやらないし、自分がなにか書く時も手癖で書いてしまうのでめちゃくちゃ頭使ったし練習になりました。またマネしたい人を見つけたらやってみるかもしれません。

最後に蛇足。記事中で炭治郎の石頭に言及しましたが、実はおでこの固さには並々ならぬこだわりがあります。どれくらいかというと、ライターをやってる「アル」の中で(つまり個人じゃないメディアで)「おでこが固いキャラ10選」という記事を書いたくらいです。こちらもよければ覗いてみてください。(ダイマ)

それではまた~


メモ
・作品と現実社会、自身との関連づけ(本当は作品半分、現実半分くらい)
・作品も現実もシニカル&ユーモアに捉える
・現実側にもテーマやモチーフを
・似たような表現を、意味と言葉をすこし変えながらくり返し
・対比構造
・例えの多様
・内面の正直さ、ドロドロさ、複雑さ
・故意なカタカナ語
・天丼
・意図的な長い一文、読点の位置
・思えば、ーし、ーとも言える、ーだし、ーなのだけど、ーらしい、-だけにして欲しい、ーわけで、ー予感もある

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