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信頼できる情報や知識を得るのは本が1番良いと思う理由

テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、インターネット、SNS、そして、本。
今の社会では、情報や知識を得る方法はいくらでもある。
しかし、情報量が多い分、その中には信頼できる情報と信頼出来ない情報が混在している。

僕個人の意見として、
情報は選ぶ側に責任がある
と思ってる。

自分が選んだ情報に基づき行動して、仮に何が失敗してしまった時には、その原因は情報そのものではなく、その情報を選んだ自分自身に責任があると考えている。
(この「情報の選択」と「責任」の話は、後日別の記事で書きたいと思う)

信頼できる情報や知識はどこから得るべきか。
僕がその源として信頼しているのは、やっぱりなのである。


では、なぜ僕は本を1番信頼しているのか
それは、「本を書く」という行為が情報発信する行為の中で1番慎重さを伴うものだと思うからだ。

自分が情報を発信する側に立って想像してみれば、実は単純な話である

例えば、何か自分の知っている事を発信しようとする時、
・SNSなどで発信する
・記者として新聞またはネット記事、テレビニュース、雑誌に掲載する
・作家として本を出版する
という、それぞれの方法で想像してみる。



まずSNS等での発信は、誰でも気軽に発信が出来るツールであり、伝播性(世の中への伝わりやすさ)も高い。今では、割とSNSを情報源のメインとして使っている人も多いと思う。
しかし、SNS等で発信する情報の欠点はすぐに削除出来る点だ。実際問題、一度拡散してしまった情報は全て削除するのは難しいとは言われるが、体感としてすぐに削除出来るものなので、発信者のその情報に対する責任感があまり無いのは想像に難くない
そもそも、その情報の発信源はどこの誰だかわからない人物が発信している事がほとんどなのだ。
誰でも無い人のブログに書かれたような内容を鵜呑みにしている人を見かけると、少しその人を心配に思ってしまう。



続いて、「記者として新聞またはネット記事に掲載する」「テレビ局の制作者としてニュースで流す」「編集者として雑誌に掲載する」をまとめて考えてみる。
いわば、世の中に情報を伝える事を目的として仕事をしている人たちの立場で考えてみるという事になる。
もちろんマスメディアの責任として、デマや嘘を流してはいけない。昨今は特に世間の目が厳しいので、あからさまな嘘やでまかせはテレビも新聞も雑誌も情報を意図的に流す事は無いだろうと思う。
しかし、テレビや新聞、雑誌に求められる「情報の新鮮さ」というのがこれらの媒体のネックになる。
テレビや新聞はほぼ毎日新しい情報を提供するのが当たり前になっており(雑誌だと毎週、毎月)、常に次々と情報が更新されていく。つまりは、過去に書かれたものを次々と上書きしていく事になる。そんな状況の中で、実際に記事を書く立場になって想像すると、これは公にするべき情報なのか、正しい情報なのか、出すには早すぎる情報ではないのか、と様々な判断が短いスパンで必要となってしまう。
毎日毎日人間が正しい判断が出来るとは限らない。ヒューマンエラーのような形で誤った情報を与える事は大いにある


さて、最後に自分が本を出版する事になったと想像してみる。
当然ながら、書籍化する事でそこに書かれたものは長く世の中に形として残る情報となる。そんなものを書くとなった時、自分の書こうとしている内容をあらゆる方向から検討し、矛盾が無いか、誤りが無いか、誰かの不利益になる事を書いてはいないか、と慎重に慎重を重ねてブラッシュアップしていくのは想像出来るだろう。
また、その検討や調査、判断には(もちろん書籍化するにも締め切りはあるだろうが)かなりの時間をかける事が出来そうだ。
自分の考えや意見が本という形になるまで、時間をかけて十分に考え抜かれるプロセスがあるだろうということは、想像出来るだろう。
マスメディアと比べると「情報の新鮮さ」は劣るかもしれないが、本は著者が充分な時間と労力をかけて世に提供していると考えると、やはり本が1番情報や知識を得る媒体としては信頼感が高いと僕は考えている。



もちろん、SNSやテレビニュースが嘘ばかりだと言ってるわけではない。本が正しい事ばかり書かれていると言ってるわけではない。
あくまで正しいかどうかの"確率"で考えると、本が1番信頼できる、という事だ。

なので、僕は日々の生活では、テレビやネットのニュースで最近の世の中の動向を大まかに捉えて、深掘りしたい時には関連した本を読む、というスタイルで情報や知識を得ている(SNSやブログ等もよく見るが、あくまでエンタメとして割り切っている)。

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