2-1 そういえば大学に入学してみると・・・


 共通一次世代の末席に属する私達は、望んでいた大学に行けていない人も少なくないかと思います。そういう自分自身、友達がたまたま余分の願書をもっていたのがきっかけで、全く志望していなかった東京学芸大学を受験して合格した経験をしています。

 高校時代は教師か医師を志望するという変わりもので、現役では教師を目指し、もし浪人するなら医師を目指すと公言していました。この変わった考えに至ったのは、社会心理学への興味からです。

 高校時代に社会学の入門書を読んで社会学自体に興味を持ち、その中でも社会心理学が面白そうに感じました。そこで、そのアプローチを高校生の頭で考えたときに、多角的に心理学に強い教育学部から攻めるか、精神医学を極める医学部から攻めるかのどちらかでやろうとしました。

 当時は文系クラスでしたので、第一志望は教育学部になりましたが、同時に医学部受験も据えて、地学選択だったのを3年生で生物に変更して、半年で共通一次レベルまで勉強しました。相性が良かったのか、入試では生物を選択して高得点が取れたのは良い思い出です。

 第一志望は、地元の教育学部(教員養成系)としては最高峰の広島大学でしたが、共通一次の結果ではボーダーラインを切ってしまいました。当時は国公立は原則1校しか受けられなかったので、強行するか悩んだ結果、日和って他の大学に変更する事にしました。浪人即医学部受験を公言していたというプレッシャーもあったのかもしれません。

 そこで最初に選んだのは横浜国立大学です。心理学の勉強も出来そうで、なおかつ2教科の教員免許が取得できる点が決め手でした。どうせ免許を取るなら社会科と国語科の免許が欲しかったのです。しかし、担任に止められました。学生運動が盛んだったから就職が厳しいので勧められないと。今になって考えるとそんなのは迷信と分かっていますが、担任にそこまで云われるとどうしようもありません。しばらく懇願しましたが調査書は書いてもらえませんでした。そして、対案として担任が出したのが東京学芸大学でした。   

 全然興味がなかったので、願書すら持っていませんでしたが、友人が受験することは知っていたので、聞いてみると予備で一部持っていました。これが人生のターニングポイントだったのでしょうか?トントン拍子に受験が決まり、2次試験も余裕で突破して気がつくとあっさり合格していました。ちなみに、願書を持っていた友人も合格し、その後も永く無二の友として付き合いが続いています。

 そうして受動的に入った大学ですが、入ってみるといろいろな意味で変わった大学だということが分かってきたのです。

 そんな東京学芸大学について、良いことも悪いことも含め、変わった所を暫く書いていこうかと思います。お付き合い頂けると幸いです。

次回は



新たな活動の為にサポートをお願いします。コンビニコーヒー1杯分でも資料収集などには大変役立ちます。浄財を継続的な発信に生かさせていただきます。