見出し画像

5月27日甘く優しい言葉に慣れない私

早く帰っておいで

そんな言葉を
言われたことがなかった
普通はあるのだろうか

営業で外回りをしていると
帰り際に
LINEが届いていた

子供の時ですら
なかった
私の母親は
『早く帰ってきなさい!』
だったし
父親はそんなことを言ったことはなかった

歴代の彼氏もそんな優しい人はいなかった
別に恋愛していて幸せだったことがなかったわけではない。でもなぜなのだろうか。なかったんだよなと。なんだかほんわか暖かくなるようなそんな言葉をかけられたことなんてなかったなと思う。心が暖かくなると言うことは、本当にあるのだなと思うのだけれど。本当にあるのだなと知ることが、今あると言うことが幸せなんだなと思うと。やはり、私は彼のおかげで幸せなんだなと感じていると言うことになる。いつもは、優しいと感じるのは2人で裸の時などが多かったりするのだけれど。昨日のその言葉は、本当に仕事上のことで。ある意味で、半年前以上前からの会社の経営のため、彼は苦しんでいて。そこに私が投入されたと同時に彼はそこに着手し始めて。それが、ある意味で達成し始めたと数字が認められた。それが昨日だった。そして、私が外に出て仕事をしている最中この言葉のメールが来ていた。17時まで会議があったと言っていたけれど、その会議が終わって、きっと部屋へ戻って座ってすぐに私へメールしだだろう時間にメッセージが残っていた。

早く帰っておいで

そう言う優しい言葉をかけられることはなかったので、戸惑った。最近、外回りに行っていて遅くなると、『帰るの待っているよ。』とか、そんな優しい言葉のメールが来る。私は、いちいちほんわかする。それを、わざわざ伝えていないけれど。戻って一旦事務所へ行き、すぐに社長室へ行って仕事の報告をする。そうすることで、私は安心する。何をすれば良いのか彼が導くから。彼は、私のためではなくて会社の成功のためにある意味で私を使っている。それは当然のことで、私はこの会社のために働くのが仕事なのだから。そう。公私混同は良くないのは公然のことなのだけれど、1年前に私が彼に縋ってそして今こうなっていることは?時が繋がっているのだから、なかったことには出来ない。運命がこうさせているのだから。ただの、体だけ目的の不倫ではないから。いないと私は生きていけなかったし、彼も癒しを求める相手もいなかったし。仕事上も、私がいなければこの会社の数字が上向くことはなかった。と、思っている。彼が考えて私が動く。最強のコンビだ。それは、これからもっと明るみに出ると思う。私が去年の秋頃に建て直した部署は、私が離れて半年、また崩れ始めて業績も落ちてきた。落ちてきたと言うか、マイナスになってしまった。私が行ってから2ヶ月目からずっとプラスだったのに。去年も、そんなに良い数字ではなかったはずなのに、昨年比を大きく割っている。私の妄想の中では、私自身が業績を上げるためだけに動ける体制になれたら良いなと。事務的なことや作業的なことをできる人が付いてくれたら。人を増やすことは、まずないと思うけれど。いれば、もっと上がるだろうと言うことが見えてきたら、それなりの人が来たら。でも、ある意味で。私自身がもっと仕事に慣れてうまく回るようになれば、その方が良かったりするのかもしれない。次に来た人が、私の実績を自分のものにするなんて良くある話なのだから。良くそうされてきたから。私がやったことを、自分がしたと平気な顔をして話す人がいるものだ。1人目の産休に入る頃。私の営業やレスポンスの評価だと思うが、業績がプラスになった。私が産休に入ると、もう1人の女性が私のしたことは自分がしたことと上や周りへ伝えて管理者になった。私が産後戻ったころ、業績はマイナスになっていて、そのおかげで私は社員として戻してもらえなかった。人を増やすわけにはいかない。とのことで。
誰が何をしたかなんて、ちゃんと伝えていないとわからないもので。どうして業績が上がったのだろうと、私が担当する部署の業績が上がると、不思議がられた。私は、結果を残しても評価をされないことを、本当に繰り返してきた。毎回、必死に働いて考えて動いた結果なのだけれど。それをしている傍で、両親も私が働いでばかりいると逆に怒るような親で。私は、結果誰にも評価などされないできた。評価をされないと言うことは恐ろしいことで、その見える成果は誰ががしたことになり、私は何もしなかった人として評価されないということで。そのことて、私は居場所を失ってきた。仕事だけではない。生きる場所。家を追われたのだって、あのモラハラ男に人生の最悪の酷評をもらったために適応障害になり、死の淵を彷徨ったのだから。
昨年の七夕でこんなことを書いていたのを見つけた。

幸せだなぁって
思えることがありますように

そう
幸せって思えるようなかけらもなかったから。泣いてばかりいた昨年。仕事場では、何も悩みなく過ごしていると思われ、仕事をサボっているだけの娘だと思われ、変な噂を流され、誰かのミスを被せられ。家では、別居した男に洗脳された両親から罵られ。居場所がなく。泣いてばかりいた。

泣いてばかりいたんですよ。
だけど、
去年手を握って
俺が守るから大丈夫
って言ってくれてから
泣かなくなりました

と先日プライベートで会っているときに話した。彼は、不安定だったのかな?と言ったけれど。不安定になるのは、私の精神状態が私自身で悪くなっているのではなくて、そうなるだけの現実があったからなのだと。思い出して感じる。昨年、私の近くにいた人の中で彼が唯一私の味方をしてくれたのだなと。下心はあったにしても、私を他の人とも平等に同じ目線で見ていたのだなと。私は、ある意味去年の5月末で営業から外されて。何をするのかわからない部署にいった。簡単な事務作業しかなかった。それを淡々とこなした。一部貿易関係の仕事があって、その海外とのやりとりでわからないことをいきなりやった為にミスをした。これは、上司の外人が許可して動いたことだったけれど、全て私のせいにされて。彼が、平等に見る目線を持っていなかったら、私はプライベートで家での居場所がない最悪の時に仕事を辞めて、別居したのに生活の場がない。娘3人を抱えてどうすることも出ない境地に立たされるところだったのだと。恐ろしいなと感じる。でも彼がいたからなんとかつながった。彼はそんなには助けていないけれど。私自身、異動が続き特に8月は死ぬかと思うほどにきつかった。数週間で何キロも痩せた。見た目が変わったと皆に言われた。ただがむしゃらにやってきただけだった。そこからもう少ししたら1年経つのだなと思う。彼も良く振り返る。彼は、その頃私をいじめていた人たちに直接話をしている。私をいじめていた人は、会社を潰そうとした人なのだと。そして、今の部署でも評価をされた今。私は、居場所を見つけた。
きっと今日の朝の朝礼では、良い知らせを彼が話すだろう。多分。褒められるかもしれない。

でもまだスタートライン。
安心して上場する場所まで私は彼と行くのだから。

#仕事
#上場
#営業
#恋愛
#願い事
#七夕
#不倫
#社内恋愛
#シングルマザー
#離婚

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?