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【日記エッセイ】「ヤングケアラー 2つ目の記憶」

ヤングケアラーという言葉が今までの僕の記憶や経験を1つに束ねようとした。僕はそれに安堵したし、反発するかのように軽蔑した。

母によく抱っこしてもらった。「抱っこ」と言って母に抱きついた。それを1日に何回もする甘えたな子供だった。けれど母を怪物だと思った日から徐々に「抱っこ」と言えなくなった。身体的な触れ合いがなくなっていく。なんだろう、触れることができない、甘えることができなくなった。

その頃から僕は耳にタコができるくらい「家にはお金がない」「死にたい」と母に言われ続けた。別に屋根のある暮らしでご飯もあったし、母が自殺未遂をしたとかでもない、ただただ、僕は母のそういう話をとにかく聞いてきた。その当時の僕の力ではどうすることもできない話を聞いてきた。母の話を聞けるのは僕だけだと思っていた。僕がその役目なんだと思った。そしてなりより僕は母が大好きだった。

小1の時である。大事にしてたドラゴンボールの筆箱を母がパニックになって僕の目の前で床に叩きつけて壊した。僕がいるからこの環境から逃れられない、けれど僕に直接当たることはできない、だから母は僕の大事にしているものを壊した。そこには悲しさしかなかった。これで終わりなら、いつか僕は家を滅茶苦茶にして飛び出したのかもしれない。

けど、次の日の夜に壊れた筆箱を開くと紙が入っている。

紙にはお母さんの字で

「たいがごめんなさい。たいがにはいつも本当に悪いと思ってる。こんなお母さんでごめんなさい。たいがは心の優しい子、いつもありがとう」と書いてある。

胸が締め付けられるのが分かる。訳がわからなくなる。悲しいのか、嬉しいのか、わかんないけど、目に涙が溢れる。この涙の意味は知らない、今でもわからない。憎いのか、悔しいのか、わかんない、これが愛なのか、そうじゃないのか、よくわかんないけど、涙がボタボタ落ちたんだ。

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