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恋愛や社会、地方からの視点―― 安彦麻理絵・大久保ニュー・魚喃キリコ『東京の男の子』(太田出版、2008年)評

20~30代のサブカルチャー好きな女性たちを主な読者とする「女流」漫画家、安彦麻理絵(新庄出身)、大久保ニュー、魚喃キリコによる本音トーク。それぞれの描きおろし漫画も収録されている。「女の子」にとっての恋愛や社会をクールかつシニカルに描く作風が特徴の三人だが、彼女らに共通するのは、地方から「東京」を見る視点。地方出身者にとって「東京」とは、というのが本書のテーマだ。

トークの中身は、友人でもある三人がどこで成育し、どういう経緯で上京し、どのような過程を経て現在に至るのかという、彼女らのライフヒストリーをめぐる語りである。そこに含まれる家庭内不和やうつ、リストカット、パニック障害、離婚など赤裸々な話題にも関わらず、三人のあまりにもあっけらかんとした、等身大の言葉たちゆえに、笑いながら読めてしまう。

80年代、地方の高校生だった安彦や魚喃は、学校からも家族からも承認してもらえない自分に苦悩し、そうした自意識を慰撫すべく東京発のサブカルチャーにはまり込んでいくのだが、逆にそれに煽られ「東京の女の子」ならぬ「地方の女の子」としての劣等感をこじらせていく。この「暗い青春」から逃れて「東京の女の子」になることが、彼女らの動機となる。

だが、上京した彼女らが見たのは、競争社会に生きる「東京の男の子」に媚を売り、誘われるのを待つ「東京の女の子」たちの姿だった。結局彼女らは、その高ぶる自意識ゆえに「東京の女の子」にはなれず「東京の男の子」の方に同化していくことになる。

このような力学のもとで三人の漫画家は生まれた。彼女らの動機を育んだ磁場は今もなお機能し、日本中の地方から「東京」へ向けて居場所のない若い人びとを押し出し続ける。「東京」で成功した彼女らの語りの底に地方への呪詛の微かな残響を聞くとき、私たちは、私たちを捉える「東京」の引力の強さに改めて気づかされる。軽い見かけの、実に重い本だ。彼女らの漫画作品がそうであるように。(了)

※『山形新聞』2008年07月13日 掲載

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